パラドックス(逆説)とは何か?パラドックス三つの分類と具体例
パラドックス(paradox、逆説)という言葉は、
哲学や論理学などの学問分野から日常的な議論に至るまで、様々な文脈において使われる多義的な概念であると考えられることになります。
そこで、今回は、
こうしたパラドックスという言葉を三つの意味に分類して捉えると共に、
それぞれの意味で用いられるパラドックスの具体例についても考えてみたいと思います。
一見すると事実に反するが、真理の一面を言い表している言葉としてのパラドックス
まず、
日常的な議論の中で
パラドックスや逆説的といった表現が用いられる時には、
それは、
一見すると事実に反する主張をしているように見えながら、
実際には、真理の一面を言い表している言葉という意味で用いられることが多いと考えられることになります。
上記の意味で
パラドックスという概念が用いられるときには、
「パラドックス」という表記より、
単に日本語で「逆説」と呼ばれることの方が多いように思いますが、
こうした意味におけるパラドックス(逆説)の具体例としては、
「急がば回れ」(危険や困難があるかもしれない近道よりも安全で確実な遠回りの方がかえって早く目的地に到達することができる、という意味)
「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」(親鸞の「悪人正機説」、善人ですら極楽浄土へ行けるのだから、悪人が極楽へ行くことができるのはなおさらのことだ、という意味)
「明日死んでもいいように生きよ」(マハトマ・ガンジー)
といったことわざや警句、格言として挙げられるような言葉が
該当すると考えられることになります。
つまり、
一見すると真理にそむいているように見えながら、実際には真理をついている
逆説的真理としてパラドックスや逆説といった概念が用いられていると考えられるということです。
論理的推論によって、常識に反する主張を導く論法としてのパラドックス
次に、
哲学や弁論術の文脈で
パラドックスという概念が用いられる時には、
それは、
常識に反する主張でありながら、それを導く推論過程のうちに、その結論を否定する論拠を見いだし難い論法という意味で用いられることが多いと考えられることになります。
こうした意味におけるパラドックスの具体例としては、
アキレスと亀のパラドックスや飛ぶ矢は飛ばずのパラドックスなどで知られる
ゼノンのパラドックスと呼ばれる一連の議論などが
代表例として挙げられることになります。
そして、
こうした意味におけるパラドックスの論法は、論理的推論によって事実をねじ曲げ、現実に反することを主張する詭弁に過ぎないとみなされることもありますが、
それは、目に見える世界についての感覚的理解、ドクサ(doxa、思惑、思いなし)によってもたらされている常識的な理解を覆し、
知性と論理の力によって哲学的真理へと至ろうとする
哲学における知の営みの一つとして捉えられることにもなるのです。
正しいように見える主張から、矛盾する結論が帰結する命題としてのパラドックス
最後に、
論理学や数学などの文脈で
パラドックスという概念が用いられる時には、
それは、
一見すると何の問題もなく正しい主張をしているように見える命題から正しい推論によって元の命題の内容と矛盾する結論が導き出されてしまう命題という意味で用いられることが多いと考えられることになります。
命題(proposition)とは、
真偽の判定対象となる文や文章のことを指す概念ですが、
つまり、
ある命題について、その命題を真であると仮定しても偽であると仮定しても、
どちらの場合においても矛盾する結論が帰結する命題のことを指す概念としてパラドックスという概念が用いられているということです。
そして、
こうした意味におけるパラドックスの具体例としては、
「私は今、嘘をついている」といった発言において生じる
嘘つきのパラドックスに代表されるような自己言及のパラドックスの議論などが
典型例として挙げられることになります。
ちなみに、
哲学などの文脈においても、
上記の意味におけるパラドックスが問題となることがありますが、
哲学の場合では、「世界は有限なのか?無限なのか?」、
「必然的な存在者としての神は存在するのか?存在しないのか?」といった
アンチノミー(Antinomie、二律背反、相互に矛盾する二つの命題(定立と反定立)が同等の妥当性を持って主張されること)という概念によって捉えられる問題としてこうした意味におけるパラドックスの議論が捉えられていくことになります。
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以上のように、
パラドックス(paradox、逆説)という言葉は、
①一見すると事実に反するが、真理の一面を言い表している言葉
②論理的推論によって、常識に反する主張を導く論法
③正しいように見える主張から、矛盾する結論が帰結する命題
という三つの意味に分類される多義的な概念として成立していると考えられることになるのです。
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関連記事①:嘘つきのパラドックスとは何か?
関連記事②:クレタ人のパラドックスと嘘つきのパラドックスの違いとは?
関連記事③:クレタ人のパラドックスがパラドックスとして成立しない理由とは?
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