ゴルギアスの相対主義と自己言及のパラドックス①何も知り得ないということを知り得るのか?
何も存在しない。
たとえ存在するとしても、それを知ることはできない。
知り得たとしても、そのことを他人に伝えることはできない。
というのは、
ゴルギアスの徹底した真理への懐疑主義と相対主義の考え方を示す
彼自身の思想を語る一つの標語ともなっている言葉ですが、
絶対的な真理、すなわち「絶対に正しい命題」はどこにも存在しないとする
こうした徹底的な相対主義の思想は、
相対主義のパラドックスと呼ばれる一種の自己言及のパラドックスを自らの論理の内に含んでしまうと考えられることになります。
何も知り得ないということも知り得ないというパラドックス
この場合のパラドックス(paradox)とは、ある命題から正しい推論によって導き出された結論が矛盾をはらむ命題となってしまうことを指す概念であり、
より分かりやすく言うならば、
一見すると何の問題もなく正しいことを主張しているように見える文章から
元の文章の内容と矛盾する結論が導き出されてしまうということを意味することになります。
そして、
冒頭のゴルギアスの言葉の二行目の議論である
「(真理が)存在するとしても、それを知ることはできない」という主張からは、
人間は、真理については「何も知ることができない」という命題が帰結することになり、
同様に、上記の言葉の三行目の議論である
「(真理を)知り得たとしても、そのことを他人に伝えることはできない」という主張からは、
人間は真理を知っていても「他者へは何も伝えられない」という命題が帰結することになります。
そうすると、上記の二つの命題のそれぞれについて、
「何も知ることができない」とするならば、
何も知り得ないということ自体も知り得ないのではないか?
また、
「他者へは何も伝えられない」とするならば、
何も伝えられないということ自体も伝えられないはずではないか?
というパラドックスが生じてしまうと考えられることになるのです。
もし本当に、何も知り得ないとするならば、
「何も知り得ない」ということ自体も知り得ないことになりますが、
それと同時に、
「何も知り得ない」という主張は、
「『何も知り得ない』ということは知っている」ということも意味することになります。
したがって、
何も知り得ないはずなのに、「何も知り得ない」ということを知り得るというのは
自己矛盾なのではないか?というパラドックスが生じてしまうことになるのです。
それと同様に、
「他者へは何も伝えられない」という主張についても、
相手に何も伝わらないとするならば、
それは、「『何も伝わっていない』ということは伝わっている」ということを意味することにもなるので、
何も伝えられないはずなのに、「何も伝わっていない」ということは伝えられているというパラドックスが帰結することになります。
相対主義の自己言及のパラドックス
そして、
人間は真理について「何も知り得ない」という上記のゴルギアスの主張からは、
人間の思考においては真理についての知すなわち、絶対的に正しい知は存在しないという考えが導かれることになりますが、
それは、「絶対的に正しい主張」は存在せず、すべての主張は相対的なものに過ぎないという相対主義の思想を意味することになります。
そして、
こうした相対主義の主張も、前章の「何も知り得ない」という不可知性、「何も伝えられない」という非伝達性のパラドックスと同様に、自己矛盾する結論へと陥ってしまうことになると考えられるのですが、それは以下のような議論によります。
真理についての相対主義の主張である「絶対的に正しい主張は存在しない」という命題に忠実に従うと、
「絶対的に正しい主張は存在しない」という主張自体も絶対的に正しい主張ではない
という結論が帰結することになりますが、
これは、「絶対的に正しい主張は存在しない」という主張の否定を意味することになります。
そして、
「絶対的に正しい主張は存在しない」という命題が否定されるということは、
その反対の「絶対的に正しい主張は存在する」という命題が肯定されることになるので、
相対主義の論理に従うと、「絶対的に正しい主張は存在する」という絶対主義の主張が肯定されてしまうというパラドックスが生じてしまうことになるのです。
つまり、
「何も知り得ない」「絶対的に正しい主張など存在しない」といった絶対主義を批判するための論理が自分自身の相対主義の主張へも跳ね返ってきてしまい、
そのように言っている相対主義の主張自体も絶対的に正しいわけではないという
自分自身の主張を否定する矛盾した結論が帰結してしまうことになるということです。
そして、
こうした相対主義の自己言及のパラドックスを解決するためには、その前提として、
まずは、自己言及のパラドックスのパラドックスの構造についてより具体的に明らかにし、論理的に突き詰めて考えておくことが必要となります。
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このシリーズの前回記事:「何も無い、何も知り得ない、何も伝えられずにすべてが再び無へと帰する」ゴルギアスの箴言③、究極の相対主義が行き着く虚無主義(ニヒリズム)への道
このシリーズの次回記事:自己言及と否定の論理がもたらす真と偽をめぐる無限循環の構造、ゴルギアスの相対主義と自己言及のパラドックス②
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