「愛づ」と「愛ず」ではどちらが正しい表記なのか?口語形と文語形、現代仮名遣いと歴史的仮名遣いにおける表記の違い
日本語では、美しいものを深く味わって感動する様子や、慈しんだり可愛がったりする様子のことを指して、「愛づ」(めづ)や「愛ず」(めず)という言葉が用いられることがありますが、
こうした「愛づ」や「愛ず」という言葉は、
広辞苑や大辞泉などの国語辞典においては、辞書を引くと、「めず」と読む索引の項目の場所に位置づけられているものの、そこでの語句の漢字表記は「愛づ」となっていて、
一見すると、この言葉の送り仮名の表記は、「ず」と「づ」のどちらの方が正しのか分かりにくい表記となっていると考えられることになります。
それでは、こうした「愛づ」や「愛ず」という言葉は、日本語において、どちらの方がより正しい表記のあり方であると考えられることになるのでしょうか?
口語形と文語形、現代仮名遣いと歴史的仮名遣いにおける表記の違い
そもそも、
こうした「愛づ」や「愛ず」という言葉は、
現代の日本語において、美しさを味わい感動する様子や、慈しんだり可愛がったりする様子、または、何かに感心したりほめたりする様子のことを表す「愛でる」(めでる)という動詞の文語形にあたる言葉であり、
現代語における「愛でる」は、ダ行下一段活用の動詞であり、未然形・連用形・終止形・連体形・仮定形・命令形というそれぞれの活用形全体が、
「愛でない」「愛でます」「愛でる」「愛でるとき」「愛でれば」「愛でろ」という形で変化していくのに対して、
その文語形にあたる「愛づ」は、ダ行下二段活用の動詞であり、活用形全体は、
「愛でず」「愛でたり」「愛づ」「愛づるとき」「愛づれども」「愛でよ」という形で変化していくことになります。
このように、
「愛づ」という動詞は、その口語形にあたる「愛でる」という動詞と同様に、語尾にダ行が含まれる形で活用されていく動詞であると考えられることになるので、
そういう意味では、この言葉自体の語句としての表記は、ザ行である「ず」ではなく、ダ行である「づ」を語尾とする形で「愛づ」と表記するのが正しいとも考えられることになるのですが、
その一方で、
こうした「づ」という仮名の発音は、現代の日本語においては、「ず」という仮名の発音と同じ発音であるとされることから、現代仮名遣いにおいては、「ず」という仮名の方へと統一される形で表記されることが多い仮名であるとも考えられることになります。
したがって、
こうした現代仮名遣いと歴史的仮名遣いという仮名の表記の方式のあり方の違いに基づくと、
上記の「愛づ」という動詞の活用形のうち、終止形の「愛づ」と、連体形の「愛づる」、已然形(仮定形)の「愛づれ」については、
「愛ず」、「愛ずる」、「愛ずれ」という「ず」という仮名を用いた表記で示すことも必ずしも誤りではないと考えられることになるのです。
『堤中納言物語』における「虫愛づる姫君」と『風の谷のナウシカ』における「虫愛ずる姫」の表記の違い
ちなみに、
こうした「愛づ」や「愛ず」という言葉の連体形にあたる「愛づる」や「愛ずる」という表現が用いられている文学作品としては、
平安時代後期の代表的な短編物語集である『堤中納言物語』における「虫愛づる姫君」などが挙げられることになりますが、
宮崎駿作の漫画版の『風の谷のナウシカ』のあとがき部分のなかでは、この物語が、そうした日本文学の古典作品である「虫愛づる姫君」をモチーフとした作品であるということが述べられていて、
そこでは、歴史的仮名遣いではなく、現代仮名遣いに沿った「虫愛ずる姫君」という表記で上記の古典文学における姫君のことが語られています。
また、こうした経緯もあって、
映画版の『風の谷のナウシカ』の音楽を担当した久石譲作曲のサウンドトラックにあたる曲集のなかでも、
「虫愛ずる姫」というタイトルの曲が収録されているのですが、
こちらの「愛ずる」の表記の方も、漫画版の『風の谷のナウシカ』の場合と同様に、現代仮名遣いに従った表記となっていると考えられることになるのです。
・・・
以上のように、
日本語における「愛づ」と「愛ず」という言葉、そして、これらの動詞の連体形にあたる「愛づる」と「愛ずる」という言葉については、
これらの言葉が、現代語における「愛でる」という動詞の文語形にあたる言葉であり、本来はダ行で活用がなされる動詞であるということから、
この言葉の古文における語句としての表記自体は、ダ行の送り仮名を用いて「愛づ」や「愛づる」と表記する方が正しと考えられることになるのですが、
それに対して、
現代の日本語における標準的な仮名の表記方式である現代仮名遣いに基づくと、「づ」という仮名の表記は「ず」という仮名の表記へと統一される形で記されることが多い仮名であると考えられるので、
そう言った意味では、こうした現代仮名遣いに従った「愛ず」や「愛ずる」という表記も必ずしも間違った表記とはいえないと考えられることになります。
そして、こうした考え方に基づくと、
「愛づ」と「愛ず」という言葉の国語辞典における表記のあり方については、
国語辞典の索引における語句の並び順自体は現代仮名遣いに従うことになるので、これらの言葉は「めず」と読む索引の項目の場所に位置づけられることになるのに対して、
辞書の本文における語句自体の表記としては、この言葉は文語形に属する言葉であるため、そこでは、古文における歴史的仮名遣いに従った「愛づ」という表記が用いられることによって、こうした表記の差異が生じてしまっていると考えられることになるのですが、
つまり、そういう意味では、
日本語における「愛づ」や「愛ず」という言葉の正しい表記のあり方としては、
それが日本文学の古典作品の中に出てくる言葉などを直接引用するような形で、こうした言葉を用いる場合には、それは、古文における歴史的仮名遣いに従って「愛づ」と表記する方がより正しい表記のあり方であり、
それに対して、
単に、そうした古典の世界の中から、イメージだけを借りてくるような形で、こうした言葉を用いている場合には、現代人が普段から使い慣れている現代仮名遣いに従って、「愛ず」という表記を用いることも必ずしも間違った表記ではないと考えられることになるのです。
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次回記事:「出づる」と「出ずる」はどちらが正しい表記なのか?「出雲」や「日出ずる国」といった言葉における読み仮名と送り仮名
前回記事:『風の谷のナウシカ』と「虫愛ずる姫君」の共通点とは?②腐海の森の植物学者としての風の谷の姫君の生物学的探究
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