「何も存在しない。知ることも、伝えることもできはしない。」ゴルギアスの箴言①、パルメニデス哲学の存在論と真理観の否定
紀元前5世紀後半の古代ギリシアで活躍したソフィストの一人である
ゴルギアス(Gorgias、紀元前487年頃~紀元前376年頃)は、
その主著である『あらぬものについて(非存在論)』において、以下のような
存在と真理に対する三段階の否定の論理について語っています。
何も存在しない。
たとえ存在するとしても、それを知ることはできない。
知り得たとしても、そのことを他人に伝えることはできない。
パルメニデスの「あるもの」の存在を否定するゴルギアスの「あらぬもの」
こうしたゴルギアスの言葉は、一見すると、
この世界には何も存在しないという
真っ暗闇のひたすら後ろ向きのイメージについて語っていて、
現実の世界の姿とはかけ離れた意味不明なことを言っているようにも思われることになります。
しかし、ゴルギアスは、
現実において、この世界には何も存在していないということを
言っているわけではなく、
「ゴルギアスの思想の概要」で書いたように、
あくまで、パルメニデスが言うような「あるもの」について、そのようなものはどこにも存在しないということを語っていると考えられることになります。
「あるもの」(to eon、ト・エオン)とは、パルメニデスに始まるエレア学派の哲学思想において哲学探究の目標とされた究極の真理としての存在そのもののことを指す概念ですが、
ゴルギアスは、こうした絶対的真理としての「あるもの」の存在自体に対して、疑義を呈し、その哲学思想のすべてを否定していく形で上記の議論を組み上げていくことになるのです。
したがって、
「何も存在しない」とは言っても、
それは、本当の意味で、現実の世界が空っぽであって、何にも存在しない真っ暗な世界であるということを意味しているわけではなく、
パルメニデスやエレア学派の哲学者たちが主張するような
普遍的・絶対的真理としての「存在そのもの」は世界のどこにも存在しないということを論証しようとしていると考えられることになります。
つまり、ゴルギアスは、
パルメニデスやエレア学派における
「あるもの」の思想を否定していくなかで、
自身の主著である
『あらぬものについて』における存在と真理に対する三段階の否定の議論を打ち立てていったと考えられるということです。
・・・
以上のように、
上記のゴルギアスの議論は、直接的には、
存在そのものや真なる実在といった絶対的真理を探究することを目指す
パルメニデスやエレア学派における存在論と真理観について疑義を呈し、
その哲学探究のあり方を徹底的に批判し否定していくことを目的に組み立てられていると考えられることになります。
そして、
このような理解に基づくと、
上記の議論は、それぞれの行の文頭に「真理」という言葉を補っていくと、
一連の論証の流れがより分かりやすくなると考えられることになります。
つまり、この記事の冒頭に掲げた
何も存在しない。
たとえ存在するとしても、それについて知ることはできない。
知り得たとしても、そのことを他人に伝えることはできない。
というゴルギアスの箴言は、
真理などどこにも存在しない。
たとえ真理が存在するとしても、人間がそれを知ることはできない。
真理を知り得たとしても、その真理を他人に伝えることはできない。
ということを語っていると考えられることになるということです。
そして、
このゴルギアスの箴言における
存在と真理に対する三段階の否定の議論においては、
一行目の文においては、
真理としての存在が非存在(あらぬもの)であることが、
二行目の文においては、
真理としての存在が人間にとって不可知であることが、
三行目の文においては、
真理としての存在が他者に対して伝達不可能であることが
論証されていくことになるのです。
・・・
このシリーズの前回記事:ゴルギアスの『ヘレネ頌』における美女ヘレネのための三つの弁明②運命・暴力・愛による三段階の論証の流れ
このシリーズの次回記事:「何も存在しない。知ることも、伝えることもできはしない。」ゴルギアスの箴言②、絶対的真理を否定する三段階の論証
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