「人間は深淵の上にかかる一本の綱」ニーチェの箴言、没落としての超人への道

19世紀のドイツの哲学者、

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェFriedrich Wilhelm Nietzsche、1844年~1900年、)の著作『ツァラトゥストラはかく語りき』のなかの一節で、
主人公であるツァラトゥストラは、以下のように語っています。

人間は、動物と超人との間に張り渡された
一本の綱なのだ。

深淵の上にかかる、綱なのだ。

渡るのも危険であり、
途中にあるのも危険であり、
振り返るのも危険であり、
戦慄して足を止めるのもまた危険である。

(ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』、第一部)

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つまり、

人間であるということは、

その意志によって超人へと至ることもできる
強力な存在でもあると同時に、

動物の状態へも容易に引き戻されてしまう
愚かで弱い存在でもあり、

うっかりすると、その道の途上で、
底なしの闇へと転落してしまう危険もはらんでいる

危険に満ちた存在であるということです。

そして、

この言葉は、

同じ危険な道であるならば、

震えながらその場にとどまって、
谷底へと落ちるのを待っていたり、

ましてや、

動物の道へと
すごすご引き返してしまったりするわけにはいかない以上、

超人へと至る、その一本の道
最後まで渡り切ってしまうしかないではないか、

という

ツァラトゥストラの
力強い意志の表れでもあります。

自らの意志による自らが生きる道の創造

この言葉が、語られる直前のシーンで、

ツァラトゥストラは、

十年の山籠もりを経たのち、
悟りを得て、再び人間たちのもとへと下りていきますが、

その途中で、聖者である森の老人と出会います。

そして、

その森の老人との会話のなかで、

ニーチェの残した言葉の中では、
おそらく最も有名な言葉である、

神は死んだ」という言葉が、

同じく、ツァラトゥストラの言葉として語られるのです。

その後、ツァラトゥストラは、

キリスト教的な外在神による、
規範道徳の束縛をはねのけて、

自らの精神の内から、
そうした神の概念を抹殺したうえで、

神の束縛によらずに、

生への新しい道を、自らの手でつかみ取ろうとする
超人への歩みを開始していきますが、

そのような中、

山を下りてから最初に訪れた町の人々の前で、
超人へと歩み出す決意を示すシーンで語られている言葉が、
冒頭の箴言ということになります。

つまり、

深淵の上にかかる一本の綱」の箴言は、

キリスト教的な規範道徳、そして、
その基盤となっている神の概念による束縛を切り捨てて、

自分自身の意志によって
自らが生きる道を、新たに創造しようとする

ツァラトゥストラの力強い決意の表出として
語られているということです。

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没落としての超人への下り道

そして、

もう一つ興味深いこととして、

ニーチェにおいては、
こうした動物から人間、そして超人への力強い生の歩みは、

天上の世界へと至るような
上昇の道ではなく、

地を歩む
没落の道として捉えられている、

ということが挙げられます。

通常の考え方では、

超人になるというのは、

人を超えた存在、言わば、
新しい神のような存在になることであって、

それは、

ギリシア神話の神々のような
天上の世界の住人となり、

人間、そして、地上の存在すべてを超えるような
天上の力を手にする

といったイメージで捉えられると考えられます。

しかし、

ニーチェが考える超人への道とは、

そうした通常の向上進化といった
上昇」の道とは正反対のイメージとなっていて、

ニーチェは、

現実の生である肉体大地を超えた価値判断である
天上の価値や道徳のすべてを

偽りの価値、偽りの道徳、偽りの希望
として切り捨て、

大地へと身を捧げ、地を這いながら、

言わば、自らの血と肉で考え抜いた思想によって、
自らの意志で、自らが生きる道を切り拓いていく
ことによってはじめて、

人間は超人へと至ることができる

と考えました。

このように、

ニーチェにおいて、超人への道は、

天上の世界への
上昇」の思考ではなく、

そうした天上の世界を捨て去り、現実の地上の世界を歩む、
天上から地上への
没落」の思考において捉えられていると考えられるのです。

さらに言うならば、

偽りの天上の世界への上昇の道を捨て去り、
超人へと進化し、向上していく
真の上昇の道こそが、

そのまま、
地への没落の道と一致していると捉えることもできるでしょう。

つまり、

ニーチェにおいても、

かつて、古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスが語ったように、

上り道と下り道は同じ

ということです。

以上のように、

ニーチェにおいては、

偽りの天上の世界を切り捨てて、
真実の地上の生を歩む没落の道こそが、

人間の生の真の理想である
超人へと至る道として捉えられている

と考えられます。

最後に、

ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語り』の
第一部「ツァラトゥストラの序説」は次の言葉で締めくくられています。

こうしてツァラトゥストラの没落ははじまった

そして、こうした「没落」としての超人への下り道の思想が、
ニーチェ哲学の根幹にあると考えられるのです。

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