「上り道と下り道は同じ」ヘラクレイトスの箴言、真理への下り道
紀元前6世紀後半の古代ギリシアの哲学者、
ヘラクレイトス(Herakleitos、前540年頃~前480年頃)は、
その箴言のなかの一節で、
「上り道と下り道は一にして同じ」
(ヘラクレイトス・断片40)
と語っています。
この言葉の意味は、ひとまずは、
上り坂も反対側から見れば下り坂になる
とか、
太陽が昇り、そして、沈むとき、
それはどちらも同じ円周上の同じ道を通っている
というように、
上りと下りという概念は、見る者の視点によって変化する
相対的な概念に過ぎない、
といった意味になると考えられますが、
これから、この言葉の意味について、
もう少し深く掘り下げて考えてみたいと思います。
物質の相互転換の系列
「ヘラクレイトスの哲学の概要」でも書いたように、
ヘラクレイトスは、
「火は万物の交換物であり、万物は火の交換物でもある。」
と述べ、
万物と火との
相互的な等価交換
を語り、
また、
火は土の死を生き、
空気は火の死を生き、
水は空気の死を生き、
土は水の死を生きる。
(ヘラクレイトス・断片76)
とも語っていました。
つまり、
大地が乾くと山火事が起こることで、
土から火が生じ、
その火の熱によって上昇気流がうまれて風が吹くことで、
火から空気が生じ、
空では、水蒸気が凝縮し、雲がうまれて雨を降らすことで、
空気から水が生じ、
降り注いだ雨は、大地を豊かにして木々を育てることで、
水から再び土が生じる
というように、
土から火へ、火から空気へ、空気から水へ、そして再び水から土へと、
物質は互いに循環するように、相互転換していく
ということです。
そして、
これらのことを考え合わせると、
冒頭のヘラクレイトスの箴言で語られていた
「上り道」と「下り道」というのも、
大地から、火、そして空気へと上昇し、
そこから逆向きに、
空気から、水、そして大地へと下降していく
物質の相互転換の系列における上昇と下降の道筋について
語っていると捉えることもできると考えられます。
つまり、
土も、火も、空気も、水も、
互いに転換が可能な相対的な存在であり、
この世界に存在するすべての物質は、互いに
等価交換が可能である、
という意味において、
大地から空気への上り道と、
空気から大地への下り道
という
二つの道は、一にして等しい
同一の原理を指し示している
ということです。
真理へ至るための下り道
また、
この「上り道」と「下り道」の同一性についての思考は、
こうした物質の相互転換という物理現象についての考え方だけでなく、
さらに、
真理の探究のあり方全体へと通じる考え方
として捉えることもできるでしょう。
通常の考え方では、
真理の探究は、
エロース(eros、哲学では、真善美へのあこがれと、そこへ至ろうとする純粋なる知の愛求のことを示す。)
と呼ばれるように、
天空で瞬く美しい星々
に代表されるような
天上の世界の崇高なる調和と秩序を
読み解き、探究していく
上昇の道
として捉えられますが、
ヘラクレイトスにおいて、
そうした
天上の世界や
天球の音楽(harmonia mundi、ハルモニア・ムンディー)
に見られるような
美しい静的な調和と秩序は、
その内部においては、
対立する力同士の激しい衝突と抗争があることによって成り立っている
としても捉えられています。
つまり、
真理の探究とは、確かに、
真善美といった崇高なる知を探究し続けるという意味においては、
天上の彼方にある
イデア(idea、個物の原型である永遠なる実在としての概念)の世界へと
限りなく上昇していく
魂の上昇の道ではありますが、
その真理が、机上の空論ではなく、
現実に身を持った真理であるためには、
それは同時に、
美しい静的な調和の内部にある
現実の暴力的な衝突や抗争も含めて、そのすべてを理解する
大地への下降の道でもなければならない
ということです。
以上のように、
真理の探究においても、
天上の世界へとあこがれ
ひたすらそれを求めて魂が上昇していく
「上り道」と同時に、
そこから、現実の世界、地上へと目を向け直し、
地に足のついた真理を求めていく
「下り道」の両方の道が必要であり、
ヘラクレイトスの冒頭の箴言の言葉にしたがうならば、
太陽がその上昇においても下降においても、
同一の軌道上にあるように、
その「上り道」と「下り道」という
二つの探求の道は、
一なる真理、一なるロゴス(論理、理法)を求める道として
一にして等しい、同一の道である
ということになるのです。
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