ピタゴラスの哲学の概要
ピタゴラス(またはピュタゴラス、Pythagoras、前570年頃~前496年)は、
紀元前6世紀後半の古代ギリシアの哲学者かつ宗教者で、
直角三角形の斜辺の長さをc、
他の2辺の長さをそれぞれaとbとすると、
a2+b2=c2
が成り立つという
ピタゴラスの定理(三平方の定理)
などの数学上の業績でも有名です。
ピタゴラスは、
イオニア地方(小アジア(現在のトルコ)南西部のエーゲ海沿岸)の
サモス島に生まれ、そこで壮年に至るまでの長い年月を過ごしたのち、
アケメネス朝ペルシアによる
東方からの圧力が強まっていくなか、
前530年頃、専制支配を逃れて、
イタリア半島南端のクロトンへと移り住み、
そこで、
宗教と数学的な学術研究が融合した
独特の思想的色彩をもつ
ピタゴラス教団ともピタゴラス学派とも言われる、
一種の宗教学術集団をつくりあげました。
この教団のなかで、その教祖である
ピタゴラスの存在は神格化されていき、
教団内部で生まれた思想やその業績のすべては、
教祖であるピタゴラス自身へと帰せられていったので、
以下に述べる、ピタゴラスの思想と学説の内容も、
ピタゴラス個人というよりは、
ピタゴラス学派ないしピタゴラス教団という、
ピタゴラスを祖とする
一つの宗教学術集団の業績と、その全体的な思想内容と考える方が、
より正確と考えられます。
ピタゴラスの哲学の概要
ピタゴラス教団は、
当時、ギリシア本土から南イタリアにかけて
信仰が盛んになっていた
オルぺウス教(またはオルフェウス教)の影響を受けつつ、
魂の不滅性と、輪廻転生を基本理念に、
魂の浄め(katharsis、カタルシス)によって、
個人の魂を救済することを教義の中心としていました。
「肉体(ソーマ)は魂の墓標(セーマ)」
というオルぺウス教とピタゴラス教団の思想に
通底する箴言に示されている通り、
彼らは、
魂は、本来、不滅で神的なものであるはずなのに、人間においては、
その魂が、死すべき肉体につなぎ留められていると考えていました。
そして、
その墓標ないし牢獄である肉体を離れて、
禁欲的生活を営み、
肉体に基づく感覚的理解を捨て去り、
純粋な知性によって世界を把握することによって、
個人の魂を救済することを
究極の目標としていたのです。
ピタゴラスは、
そうした救済へと至る
魂の浄め(カタルシス)を得るためには、
音楽(mousike、ムーシケー)
を用いることが重要だと考えました。
彼は、
音楽における主要な音階が、
オクターブ(完全八度)ならば、
弦の長さは1対2(音程が1オクターブ上がると弦の長さが2倍になる)、
完全五度ならば2対3、
完全四度ならば3対4
というように、
竪琴の弦の長さの
シンプルで美しい整数比によって生み出されることを解明し、
このように、
弦の長さとのきれいな比例関係によって、
調和した音の響きが構成されることから、
音楽(ムーシケー)は、
数的比例関係に基づく、
数学的な調和(harmonia、ハルモニア)
によって成り立っていると考えました。
そして、
そうした、言わば、
数学的に純化された音楽を
自らの知性で聴き分けることによって、
魂の浄め(カタルシス)が得られると考えたのです。
ピタゴラスは、さらに、
音楽だけではなく、
天体の運行などの宇宙全体の秩序も、
数学的比例関係とその調和によって成り立っていると考えました。
肉体と感覚に捕らわれている
通常の人間には聴き取ることはできないが、
音楽の本質に目覚め、
数の神秘を会得した者だけは、
自らの知性によって、
頭上にまたたく星々の小さなささやき声、
そして、
全宇宙が奏でる壮大なシンフォニー(交響曲)である
天球の音楽(harmonia mundi、ハルモニア・ムンディー)
を聴き取ることができると考えたのです。
以上のような音楽や天文学の探求を通じて、
ピタゴラスは、
音楽や天体の運行、さらには、
自然や宇宙全体の秩序が
数によってもたらされていることを見て取り、
世界のすべての存在は、
数学的比例関係とその調和という
数の原理によって成り立っていると考えるに至ります。
つまり、端的に言えば、
ピタゴラスは、
「万物の始原(アルケー、元となるもの、根源的原理)は何か?」
という
最初の哲学者タレスの時代から問われ続けてきた、
世界の根拠への問いに対して、
「万物の始原は数である」
と答えたということですが、
この万物の始原の問いに対するピタゴラスの答え方は、
今までの自然哲学者たちとは大きく異なる思考の方向性を示しています。
これまでの、
タレスやアナクシメネスといった
ミレトス学派やイオニア学派に代表される
自然哲学者たちは、多くの場合、
水や空気といった、何らかの
自然的事物、物質的存在に直接、
万物の始原(元となるもの)を求めたのに対して、
ピタゴラスは、
数という、
事物が存在する論理的な形式の方に
存在の始原(根本原理)を求めたという点が
大きく異なると考えられるのです。
つまり、
ピタゴラスは、
自然現象や物質的存在といった
目に見える事物ではなく、
その背後にあり、それ自体は
目に見えないが、すべての存在の基底にある
数という
論理的形式自体に焦点を当て、
そちらの方が、すべての存在の始原(アルケー、根源的原理)である
と考えたということです。
ピタゴラス学派は、
こうした考えを、さらに推し進め、
「テトラクテュス(tetraktys、四数体、四元数)」
(1から4までの最初の4つの整数の和が10であることを、10個の点の配置によって図形化した図形数)
の神聖化に代表されるように、
万物の始原としての数を神秘化させていくなかで、
1は知性・実在、2は思いなし(ドクサ、感覚知)・女性、3は全体・男性、
4は正義・真理、5は結婚などというように、
それぞれの数字へ特定の事物や観念を割り当てることなども行っていきましたが、
以上のように、
ピタゴラス学派における、
魂を浄め、救済を得るための探求は、
音楽と天文学の次元から、
数学を介して、
存在の真理へと至る哲学の次元へと、
段階的に進んでいくことになるのです。
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