ピタゴラスにおける数の意味の割り当て
ピタゴラス学派、ないし、ピタゴラス教団は、
教団の教義やその学術的思想を外部に対して隠し、
神秘として保持する
一種の密議教(秘密結社的な神秘宗教)のような組織でもあったので、
その教義および思想の内容について正確に知ることは難しいのですが、
その数理思想における、
数の意味の割り当てについてまとめると、
それは、おおよそ、以下のようなものであったと考えられます。
1は、知性・理性、実在・存在
2は、思いなし(ドクサ、感覚知)、女性
3は、全体、男性
4は、正義・真理
5は、結婚
6は、恋愛・友愛
7は、好機、幸福
8は、本質
9は、特になし
10は、完全、神聖、宇宙
それでは、これから、
それぞれの数字について、その意味が割り当てられた理由を
一つ一つ読み解いていきたいと思います。
ヌース(知性)とドクサ(思いなし)
まず、
はじめの数字である「1」についてですが、
「1」は、真理は一つ、などと言われるように、
知性の理解によって、真理が一つに定まり、
存在の真の姿が
確定している状態を示すので、
知性(nous、ヌース)または理性
そして、
その理性によって解き明かされた真の存在である
実在(ousia、ウーシア)
を表すということになります。
つまり、
「1」は、
知性による確実な認識を表しているということです。
これに対して、
「2」は、肯定と否定の2通りがあって、
真実が一つに定まっておらず、
正しいかもしれないし、間違っているかもしれない、
あるかもしれないし、ないかもしれない、
という
どちらともはっきりしない、
ドクサ(思いなし、臆見、感覚知)
の状態にあることを示しています。
つまり、
「2」は、
感覚による不確実な認識を表しているということです。
理性と感性、男性と女性
そして、
ピタゴラス学派の考えによると、
その不確実な感覚的認識を表している
「2」が「女性」のことも表しているということですが、
これは、いったいどういうことなのでしょうか?
これは、
現代の男女同権主義の立場から言うと、
受け入れがたい差別と偏見に満ちた考えということになるのですが、
一言で言えば、
ピタゴラス学派は、
女性とは、感性的な存在であり、
それに理性である「1」を足した存在が
男性である、
と考えていたということになります。
つまり、
ドクサ(感覚知)=「2」とヌース(知性・理性)=「1」
を合わせ持った存在が、
男性=「3」であり、
「3」である男性こそが、完成された人間の姿である、
と考えていたということです。
そして、
「5」は、
女性である「2」と男性である「3」の和、すなわち、
女性原理と男性原理が合わさった数になるなので、
「結婚」を意味することになります。
一方、
女性=「2」と男性=「3」の積である
「6」の方は、恋愛、または、友愛とされていましたが、
これは、
数学において、
足し算よりも、掛け算の方がより高度な論理であり、
古代ギリシアでは、
生物的・社会的な結びつきである結婚よりも、
よりプラトニック(純粋に精神的であること)な愛を含む
恋愛や友愛の方が、高尚で優れた愛の形であると考えられていたので、
より高度な論理である積の帰結である「6」の方に、
高尚な愛である、恋愛と友愛の方を対応させたということです。
同じような話にはなりますが、、
恋愛と友愛の方が、結婚よりも
プラトニックで理性的であるという意味で、
結婚=「5」に「理性」=「1」を足したものが、
恋愛・友愛=「6」とされたと考えることもできるでしょう。
また、
古代ギリシアでは、
同性愛、特に、
教養の高い男性同士のプラトニックな愛が
異性愛よりも高尚なものだと考えられていたので、
「6」は、そのような同性間の愛(すなわち、「3+3」)も含めて、
恋愛ないし友愛を表すとされたと考えられます。
孤立の「7」と音楽の「8」
そして、
次の「7」は、現代でも、いわゆる、ラッキーセブンと言われるように、
幸運のシンボルとされていますが、
「7」は、数自体の性質としても、
他の数とは少し変わった性質を持っています。
それは、
定義上、すべての整数と互いに素である1を除くと、
7だけが
1から10までのどの数とも
互いに素(二つの整数の間に1(または-1)以外の公約数がないこと)
であり、
そういう意味では、
1から10までの数の中で、
7だけが孤立している、
ということです。
このように、
「7」は、数自体の性質としても稀で珍しい存在ので、
めったにない機会という意味で、好機であり、
そのような好機に恵まれるとは、幸運であるという意味で、
好機や、幸運、幸福を表していると考えられます。
また、
ピタゴラスは、
数学の論理と世界の秩序を結びつける存在として、
音楽を非常に重視していたので、
弦の長さが最もきれいな整数比である
1対2になるときに生み出される音程である
オクターブ(完全八度)、すなわち「8」を、
音楽自体を象徴する数として重視していました。
つまり、
「8」は、オクターブとして、音楽の本質を担う数であり、
音楽は、数の原理を現実の世界に結び付ける存在でもあるので、
それは、世界自体の本質を表す数でもあるということです。
テトラド(四つ組)とトライアド(三つ組)
ところで、
ここでいったん、小さい数の方に戻って考え直してみると、
「3」には、「男性」という意味だけではなく、
「全体」という意味もありましたが、
この意味づけには、いったいどのような理由があるのでしょうか?
「3」すなわち、
トライアド(triad、三つ組)
という概念は、
キリスト教の成立以降は、
三位一体(Trinitas、トリニタス、父なる神・子なる神・精霊の一体性)
といった、
より深遠で神秘的な意味を持つようになります。
しかし、
古代ギリシアの思想では、
「3」という数には、そこまでの重きは置かれていないので、
ピタゴラス学派において「3」は、
始め、中、終わり
過去、現在、未来
といった、単なる
事柄の順番といった意味での「全体」を表していると考えられます。
そして、
「4」が正義であり、真理でもあるというのは、
ピタゴラスが考えた人間の完成形が「3」であり、
そこに、さらに、理性としての「1」を重ねて加えることで、
より正しい人間、すなわち、正義を表すことになった、
と考えることもできますが、
古代ギリシアの思想、特に、ピタゴラス学派においては、
「4」という数自体がより重要な意味を持つと考えられます。
ピタゴラス学派では、
「テトラクテュス(tetraktys、四数体)」
(1から4までの最初の4つの整数の和が10であることを、10個の点をピラミッド型に配置することによって図形化した図形数)
に象徴されるように、
「4」すなわち、
テトラド(tetrad、四つ組)は、
点、線、面、立体
という事物が形成されていく次元の展開原理であり、
すべての存在の構成原理であると考えられていました。
したがって、
「4」は、
世界を構成する原理である
テトラクテュス(四数体)の元となっている
テトラド(四つ組)を表す数
という意味において、
根本原理である、世界の真実の姿として「真理」であり、
秩序ある世界の正しい姿として「正義」でもあると考えられたということです。
そして、最後に、
「10」こそは、
ピタゴラス学派の数理思想のシンボルである、
テトラクテュス(四数体、10個の点のピラミッド型の配置)の全体であり、
その完成形を表す数なので、
「10」は、
ピタゴラス学派の神秘思想全体を象徴する、
祈りの対象ともなっていた神聖数であり、
それは、
全宇宙を構成する根本原理であるという意味で、
宇宙そのものでもあると考えられていたのです。
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