三段論法を用いることの具体的な効用と妥当な三段論法の形式を用いた推論の具体例①、ウイルスが無生物であることの論証
このシリーズの初回から前回までの一連の記事では、三段論法と呼ばれる演繹的推論のあり方の具体的な定義や、その推論のあり方の論理学的な分類について考察していくなかで、
三段論法における四つの格の分類や、それぞれの格における64通りの式の区分、さらには、こうした四つの格と64通りの式の組み合わせによって得られる形式的に可能な256通りの三段論法の形式のうち、24種類の格式のみが妥当な三段論法の形式として認められることの具体的な検証もおこなったうえで、
そうした妥当な三段論法の形式を覚えるための詩として中世から近世のヨーロッパにおいて広く流布していた三段論法の格式のラテン語の覚え歌についても取り上げてきましたが、
それでは、こうした三段論法の格式を覚えたり、どのような格式に基づく三段論法の推論が前提が真であれば結論も必然的に真となる妥当な推論となるのかを理解したりすることには、具体的にはいったいどのような意味と効用があると考えられることになるのでしょうか?
三段論法を用いることの具体的な効用とは?各場面で用いられる推論のあり方の違い
例えば、
一般的な推理小説や刑事ドラマなどにおいても、突き詰めていくと、そこに出てくる登場人物が用いる推論のあり方には、
三段論法を用いた推論として捉えることもできる推論のあり方も散見されることになるのですが、
こうした日常的あるいは実践的な場面で用いられる推論においては、通常の場合、「すべてのAはBだ。すべてのBはCだ。ゆえに、すべてのAはCだ。」といった厳密で確実性の高い推論ではあるが、堅苦しくて適用範囲が狭い三段論法の推論よりも、
「Bである多くの人はCだから、BにあてはまるAという人もおそらくCだろう」といった帰納的推論や、
「BはCであり、AとBはよく似ているので、AもおそらくCだろう」といった類推と呼ばれる推論のあり方、
さらには、「AがBであることの前提としてCであると仮定するとうまく説明できるのでおそらくCだろう」といった論理の飛躍をともなう仮説形成といった
蓋然的で推論の確実性は低いものの、推論の適用範囲が広く、多方面に応用が利く推論のあり方が主に用いられていくことになります。
したがって、三段論法といった演繹的推論に基づく思考法が日常生活や実践的な場面において実際に役に立つケースは比較的少なく、
それは、むしろ、学問における抽象的な概念同士の関係性の定義や、そうした普遍的な学問体系自体の整備、さらには、神の存在や、世界の始まりと終わり、自我や魂の存在や、存在そのものについての形而上学的な問いといった
学問的あるいは形而上学的な議論の場面において本領を発揮する推論のあり方であると考えられることになるのです。
三段論法の推論に基づくウイルスが無生物であることの論証
それでは、いったいどのような場面において、妥当な三段論法の形式を用いた推論が具体的な効用を示すことになるのか?ということについてですが、
例えば、生物学の分野における学問的議論において、
「生物」という概念の定義を整理していったときに、それが、自己と外界との境界を持ち、エネルギーの生産と物質の代謝を自分で行い、遺伝子によって自己複製を行うとともに、常に自分の体内の内部環境を一定の状態に保とうとする恒常性を維持し続けようとする働きをもった存在として捉えることができるとすると、
生物とは、「自己と外界との境界」「エネルギーと物質の代謝」「自己複製」「恒常性」という四つの要素を同時にあわせ持った存在であると定義されることになります。
すると、例えば、「ウイルス」のようなぱっと見ただけでは生物なのか無生物なのかいまいちはっきりとしない存在についても、
ウイルスは、「自己と外界との境界」と「自己複製」という二つの性質は持っているものの、「エネルギーと物質の代謝」と「恒常性」という残りの二つの要素については有していないという事実から、
以下のような二通りの三段論法の推論が成立すると考えられることになります。
大前提:すべての生物は代謝を行う
小前提:すべてのウイルスは代謝を行わない
結論:ゆえに、すべてのウイスルは生物ではない
大前提:すべての生物は恒常性を有する
小前提:すべてのウイルスは恒常性を有さない
結論:ゆえに、すべてのウイスルは生物ではない
そして、上記の三段論法で用いられている推論の形式は、両方とも、「24種類の妥当な三段論法の形式のまとめ」の記事で挙げた第二格AEE式に該当する妥当な三段論法の形式にあたることになるので、
この推論は、前提が真である限り、三段論法の形式のみによって、結論も論理必然的に真となる推論として認めることができると考えられることになるのです。
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以上のように、
三段論法という厳密で確実性の高い演繹的推論がその効用を発揮する場面としては、主に、学問的あるいは形而上学的な議論の場面が想定されることになると考えられることになります。
そして、生物学などの学問分野においては、上述したように、はじめに挙げた四つの生物の定義から妥当な三段論法の形式を用いた推論を展開していくことによって、
ウイルスが生物ではないという事実を必然的に論証することができると考えられることになるのですが、
こうした一般的な学問分野における議論と同様に、形而上学的な議論についても、三段論法の形式を用いた推論の具体例を挙げていくことにするならば、詳しくはまた次回改めて考察を進めていくように、
例えば、「人間は神ではない」という形而上学的な命題や、中世のスコラ哲学において見られるような神の存在証明の議論についても、基本的には、こうした三段論法と呼ばれる演繹的推論のあり方によって論証が進められていくことになると考えられることになるのです。
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次回記事:あらゆる宗教に共通する神の普遍的な性質とは何か?「永遠性」すなわち「不死なる存在」としての神の定義
前回記事:三段論法の格式の覚え歌(Barbara, Celarent, Darii, Ferio…)のラテン語の発音と詩全体のおおよその意味の和訳とは?
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