天動説と地動説の違いとは?人類の歴史における二つの天文学理論の変遷のあり方のまとめ

天動説と地動説とは、古代から近代までの天文学や宇宙論の分野において続いてきた天体の運動の中心は地球と太陽のどちらであるのか?といったことをめぐる天文学の基礎原理となる二つの学説の対立のことを意味する言葉であり、

両者の学説の違いは、一言でいうと、

天動説とは、人間が住んでいる地球が宇宙の中心にあって太陽や月や星といったほかの天体たちがその周りをまわっているとする天文学における地球中心説のことを意味する言葉であるのに対して、

地動説は、地球ではなく太陽の方が宇宙の中心にあって地球やほかの星々がその周りをまわっているとする天文学における太陽中心説のことを意味する言葉であるといった点にあると考えられることになります。

それでは、こうした二つの天文学における学説は、人類の歴史の流れのなかにおいては具体的にどのような形で形成されていった天文学理論であると考えられることになるのでしょうか?

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古代ギリシアにおける地動説と天動説の対立と古代ローマのプトレマイオスによる天動説の確立

人類の歴史の流れのなかでこうした天動説や地動説と呼ばれるような天体の運行に関する基礎理論が学問的な体系として整備された宇宙論として提唱されるようになったのは、古代ギリシアの時代においてであり、

まずは、

紀元前5世紀の時代に生きていた古代ギリシアの哲学者および数学者であったピロラオス(Philolaosによって、

地球だけではなく太陽や月も含めたすべての天体が宇宙の中心にあるヘスティア(竈(かまど))と呼ばれる中心火の周囲を回転していくという変則的な地動説の理論が唱えられていくことになります。

それに対して、

天動説の理論が学問的体系を備えた明確な形ではじめて提唱されたのは、それから100年ほど後の時代においてであり、

 紀元前4世紀古代ギリシアの数学者にして天文学者でもあったエウドクソス(Eudoxosによって、

地球を中心として同心円状に広がる複数の天球が取り囲むように回転していくことによって、調和のとれた天体の運行がもたらされていくことになるとする地球を中心とする同心天球からなる重層的な天球によって構成される天動説の理論が提唱されていくことになります。

そして、その後、

古代ギリシアにおける地動説の理論は、紀元前3世紀の時代に生きていた古代ギリシアのサモス島出身の天文学者にして数学者にもあたる人物であるアリスタルコス(Aristarchosによって完成されることになるのに対して、

天動説の理論の方は、その後、

紀元前3世紀古代ギリシアの数学者にして天文学者でもあったアポロニウスApolloniusによって、

地球の周りをまわっている星々は、地球を中心とする天球上を単なる円運動によって周回しているわけではなく、そうした大きな円運動の軌道上にある従属的な小さな円である周転円の軌道上を動いていると定義されることによって、新たに周転円の概念が導入され、

さらにその後、

紀元前2世紀古代ギリシアの数学者にして天文学者でもあったヒッパルコス(Hipparchosによって、

天体の大部分は地球を中心とした円軌道を描いて運行しているものの、太陽や月といった特別な天体は地球から少し離れた点を中心とする円である離心円上を動くと定義されることによって、新たに離心円の概念が導入されるというように、

エウドクソスを起源とする古代ギリシアにおける天動説の理論に対して段階的に修正が加えられていくことになり、

最終的に、

古代ギリシアにおける天動説の理論は、紀元後2世紀古代ローマの時代におけるギリシア人の天文学者であったプトレマイオス(Ptolemaios)によって、

前述したアポロニウスによる周転円の導入や、ヒッパルコスによる離心円の導入といった両者の天文学における天動説の理論の修正も踏まえたより精密な理論体系を備えた天動説の理論として完成されていくことになるのです。

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近代ヨーロッパにおける地動説の再発見とコペルニクスからニュートンへと至る科学革命の展開

そして、その後、

中世ヨーロッパにおいては、こうしたプトレマイオスの天動説が、キリスト教のカトリック教会の権威に基づいて中世における学問や思想のあり方を主導する立場にあったスコラ学の内にも受け入れられていくことによって、

そうした中世ヨーロッパにおける天文学の正統的な学説として長い間君臨し続けていくことになるのですが、

ルネサンス期から近代の時代へと入っていくと、

まずは、16世紀のポーランドの天文学者にしてカトリックの司祭でもあったニコラウス・コペルニクス(Nicolaus Copernicusによって、それまで長く忘れ去られ、歴史の表舞台からは姿を消してきた地動説の理論が再発見されていくことになり、

コペルニクスの死と共に出版された『天体の回転について』De Revolutionibus Orbium Coelestiumと題される一冊の本をきっかけとして、近代ヨーロッパにおける地動説の興隆科学革命の進展がはじまっていくことになります。

そして、その後、

こうした近代ヨーロッパにおける地動説の理論は、17世紀のイタリアの物理学者にして天文学者であったガリレオ・ガリレイGalileo Galileiによる地動説の支持と、

それに対するカトリック教会の側からの迫害であるガリレオ裁判を通じて、政治的な面においてもヨーロッパ社会全体に広く浸透していくこととなり、

さらに、その後、

17世紀のドイツの天文学者であったヨハネス・ケプラー(Johannes Keplerによるケプラーの法則と呼ばれる楕円軌道に基づく惑星の運動理論の確立による近代ヨーロッパにおける地動説の理論の完成と、

そして、

17世紀のイギリスの物理学者にして天文学者でもあったアイザック・ニュートン(Isaac Newtonによるニュートン力学と呼ばれる力学理論の体系の確立、

そして、そうした新たな力学体系の内への地動説に基づく天文学理論の組み入れを経ていくことによって、

こうした天文学における地動説の理論は、近代科学の根幹をなす基礎理論の一つとして、ヨーロッパの学界全体に広く定着していくことになったと考えられることになるのです。

・・・

そして、以上のように、

こうしたピロラオスエウドクソスそしてアリスタルコスアポロニウスヒッパルコスといった古代ギリシアの天文学者たちによる地動説と天動説の提唱にはじまり、古代ローマのプトレマイオスによる天動説の確立を経て、

近代ヨーロッパにおけるコペルニクスによる地動説の再発見と、ガリレオからケプラーそしてニュートンにおける科学革命の展開へと至るという一連の歴史の流れの中で、

現代の科学における地動説の理論が確立されていくことになったと考えられることになるのです。

・・・

次回記事:コペルニクス革命とコペルニクス的転回の違いとは?科学史におけるコペルニクス革命と認識論におけるコペルニクス的転回

前回記事:天動説と地動説はどちらが先に唱えられたのか?神話的世界観と古代ギリシアにおける地動説と天動説の理論の時間的な前後関係

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