古代オリンピックの歴史とは?1200年の長きにわたり続いた古代ギリシアのオリンピックの伝統と古代ローマとキリスト教

前回の記事で書いたように、古代ギリシアオリンピアの祭典を中心とする古代オリンピックの歴史は、紀元前776に開催された1回大会に始まり、

紀元後369に開催された記録が残されている287大会、または、その後に行われたと推定されている紀元後393に開催されたと考えられる293大会まで続いていったと考えられることになるのですが、

それでは、こうした紀元前8世紀ごろにはじまる古代オリンピックの歴史は、その全体像としては、具体的にどのような形で展開していくことになっていったと考えられることになるのでしょうか?

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紀元前7世紀から6世紀の古代ギリシアにおけるオリンピック競技の隆盛

そうすると、まず、こうした古代ギリシアにおけるオリンピックの歴史は、

紀元前776に開催された古代オリンピックの第1回大会において行われたスタンディオン走と呼ばれる古代の短距離走にあたる種目の競技大会において幕を開けることになり、

その後、

ディアウロス走ドリコス走武装競走戦車競走、そして、レスリングボクシングパンクラチオンといった格闘競技から、

五種競技に含まれる走幅跳やり投げ円盤投げの三組の競技、さらには、トランペットの演奏競技弁論大会といった技術的な技能を競う種目まで含めた

全部で13の種目ほどにのぼる様々な競技種目が順々に古代オリンピックにおける正式種目として採用されることになっていったと考えられることなります。

そして、

こうした数多くの競技種目のうち、戦車競走武装競走などといった比較的大規模な設備や装備が必要となる種目が導入されていくことになった紀元前7世紀から6世紀ごろまでの時代には、

こうした古代ギリシアにおけるオリンピックの競技は、ギリシア全土から数多くの競技者と観客たちが集まってくる世界一の大規模な競技大会として隆盛を極めていくことになっていったと考えられることになるのです。

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ローマの支配拡大に伴うギリシア世界とオリンピック大会の衰退

しかし、その後、

紀元前4世紀におけるマケドニアアレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)によるギリシア諸都市の支配を経て、

紀元前2世紀に、西方における新たな勢力であった古代ローマの隆盛によって、ギリシア世界の大部分がローマの版図へと組み込まれていくことになると、

古代ギリシアにおけるオリンピック大会の隆盛にも徐々に陰りが見えてくるようになっていきます。

例えば、

紀元前80ローマの独裁官となって絶大なる権勢をふるっていた共和政ローマの軍人にして政治家でもあったスッラは、

オリンピアの祭典が開催されることになっていたオリンピアデルポイといったギリシアの諸都市を略奪して軍資金を調達した後に、その資金の一部を使ってローマで競技大会を開催したとされていて、

さらに、その150年ほどのちの

紀元後67には、当時のローマ皇帝であったネロは、自分が十分な準備を整えて競技会に臨むことができるように、個人的な都合オリンピアの祭典の開催を2年延期したうえで、皇帝自らがオリンピアの祭典に競技者として無理やり参加することになります。

そして、

皇帝ネロ実際に参加したオリンピアの祭典戦車競走の種目においては、彼はレースの途中戦車から投げ出されてしまって完走すらすることができなかったにもかかわらず、

ローマ皇帝が持つ絶大な権力によってオリンピックのルールをもねじ曲げてしまい、

もしも自分が不当な妨害を受けずにレースを完走することができていたならば、必ずや一位の順位でゴールに到着していたに違いない、そのことに誰も疑いを呈する者はいない、ということは、自分は必然的に勝利したのと同じということなる

というめちゃくちゃな理由によって、彼は、戦車競走における勝利者としての表彰を受けることになるのです。

1200年にわたって続いた古代ギリシアにおけるオリンピックの伝統

そして、その後、

ローマ帝国の領内において新たな宗教であったキリスト教が広がっていくようになると、古代ギリシアの神々を祀る競技の祭典であったオリンピアの祭典は、異教の祭典として少しずつ廃れていくようになっていき、

392に、ローマ皇帝テオドシウス1によってキリスト教国教化され、それに伴って、異教の祭典とされていたオリンピアの祭典ローマ帝国から正式にその開催を禁止されることになります。

そして、それによって、

古代ギリシアにおけるオリンピックの伝統は、正式な形での終焉を迎えていくことになっていったと考えられることになるのですが、

以上のように、

こうした古代ギリシアにおけるオリンピアの祭典を中心とする古代オリンピックは、紀元前8世紀ごろにはじまり、

その後、マケドニアローマによる支配を経て、紀元後4世紀ごろまで続いていくことになった、実に1200年もの長きにわたって続いてきた古代世界における最大の競技の祭典であったと考えられることになるのです。

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次回記事:十種競技と五種競技の違いとは?古代と現代のオリンピックにおける二つの混成競技の具体的な特徴の違い

前回記事:古代オリンピックの最後の大会はいつ開催されたのか?最後の優勝者となったアルメニア王ヴァラズダトとテオドシウスの勅令

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