古代オリンピックの最後の大会はいつ開催されたのか?最後の優勝者となったアルメニア王ヴァラズダトとテオドシウスの勅令

以前に「古代オリンピックを最初に主催した人物とは?」の記事などでも書いてきたように、

古代ギリシアオリンピアの祭典を中心とする古代オリンピック歴史上の記録に基づく最初の大会は、紀元前776に行われることになったと考えられることになるのですが、

それでは、それに対して、

古代オリンピック歴史上の記録における最後の大会は、いったい歴史上のいつ頃の時点において行われることになり、

それをもって、古代ギリシア世界におけるオリンピックの歴史幕が降ろされることになったと考えられることになるのでしょうか?

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古代オリンピックの歴史上の記録における最後の優勝者となったアルメニア王ヴァラズダト

そうすると、まず、冒頭でも述べたように、

紀元前8世紀ごろにはじまり、その後、紀元前7世紀から6世紀ごろまでの時代には、ギリシア全土から数多くの競技者と観客たちが集まってくる大規模な競技大会として隆盛を極めていくことになっていったと考えられる古代ギリシアにおけるオリンピックの大会は、

その後、

ギリシア世界が新興勢力であったローマの版図へと組み込まれていくなかで、徐々に衰退していくことになっていったと考えられることになります。

そして、さらに、

ローマ帝国の領内において新興宗教であったキリスト教が広がっていくようになると、古代ギリシアの神々を祀る競技の祭典であったオリンピアの祭典は、異教の祭典として少しずつ廃れていくようになっていき、

313におけるローマ帝国によるキリスト教公認を経て、その50年ほどのちの

紀元後369に開催された古代オリンピックの第287において、ボクシング競技における優勝者となったとされる、のちにアルメニア王となったヴァラズダト(Varazdatと呼ばれる選手の名前の記録を最後として、

歴史的な資料に基づく正式な記録としては、古代ギリシアにおけるオリンピックの記録途絶えてしまうことになるのです。

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テオドシウス帝によるキリスト教の国教化とオリンピアの祭典の禁止

また、その一方で、さらにその後、

392に、当時のローマ皇帝であったテオドシウス1が発した勅令によってキリスト教ローマ帝国の国教として位置づけられることになると、

それに伴って、異教の祭典とされていたオリンピアの祭典ローマ帝国から正式にその開催を禁止されることになっていきます。

そして、そうした一連の歴史的な経緯に基づくと、

正式な記録としては残っていないものの、おそらくは、その翌年の紀元後393に開催されたと考えられる293回のオリンピアの祭典をもって、

古代ギリシア全土から人々が集まる正式で大規模な競技大会としての古代ギリシアにおけるオリンピックの伝統は、ここでいったん途絶えることになってしまったとも考えられることになります。

・・・

そして以上のように、歴史上の記録においては、

紀元前776に開催された1回のオリンピアの祭典代オリンピックにおける最初の大会として位置づけられることになるのに対して、

紀元後369に開催された287回オリンピアの祭典、または、その後に行われたと推定されている紀元後393に開催されたと考えられる293回のオリンピアの祭典代オリンピックにおける最後の大会として位置づけられることになると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:古代オリンピックの歴史とは?1200年の長きにわたり続いた古代ギリシアのオリンピックの伝統と古代ローマとキリスト教

前回記事:ピューティア大祭のギリシア神話の起源とは?デルポイの巫女と神託の地を守護する聖なる大蛇ピュートーンとアポロンの関係

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