ピューティア大祭のギリシア神話の起源とは?デルポイの巫女と神託の地を守護する聖なる大蛇ピュートーンとアポロンの関係

このシリーズの初回の記事で書いたように、古代ギリシアにおいて開かれていた大規模なスポーツの祭典としては、

古代のオリンピックにあたるオリンピア大祭のほかに、ネメア大祭イストモス大祭ピューティア大祭と呼ばれる全部あわせて四つの競技大会の名が挙げられることになるのですが、

このうち、かつてこの地にあったアポロン神殿において下されていたデルポイの神託と呼ばれる神託の言葉や、神殿の入り口に碑文として刻まれていた「汝自身を知れ」という古代ギリシアの格言などで有名な古代都市デルポイにおいて、

ギリシア神話における予言と音楽を司る光明神アポロンを祀る祭典として開催されていた競技大会にあたるピューティア大祭神話的な起源は、

以下で述べるようなギリシア神話におけるデルポイの巫女神託の地を守護する聖なる大蛇ピュートーン、そして、光明神アポロンをめぐる一連の物語のうちに求められることになります。

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ピューティア大祭の呼び名の由来となったデルポイの巫女と神託の地を守護する大蛇ピュートーン

ギリシア最古の神託所にあたるデルポイの地には、ギリシア神話が形づくられていくことになった神話の時代から、神々から与えられる予言の言葉を人々に伝える巫女たちが住んでいたとされているのですが、

こうした太古の時代デルポイの地においては、ギリシア神話における原初の神々にあたるガイア(大地)ウラノス(天空)の間に生まれたティターン神族と呼ばれる古代の巨神族のうちの一柱としても数えられている法の女神テミス神託を与える神としての役割を担っていたと考えられることになります。

そして、

こうした法の女神テミスが与える神託の言葉を、この地に集う巫女たち神がかりとなって自らの心の内に伝え聞くことによって、デルポイの神託が下されていたと考えられることになるのですが、

そうしたデルポイの巫女たち神がかりとなるための霊気を吸っていたとされる地の裂け目には、ピュートーンと呼ばれる大蛇がとぐろを巻いて神託の地を守護していたと語り伝えられています。

そして、

こうした太古の時代においてデルポイの神託の地を守護していた大蛇ピュートーンの名を取って、デルポイに集う巫女たちのこともピューティアと呼ばれていたことから、

こうしたもともとは大蛇ピュートーンの名に由来するデルポイの巫女のことを指すピューティアという言葉が直接的な由来となることによって、

のちに、デルポイの地で行われていくことになる神々へと捧げられた競技大会が、ピューティア大祭と呼ばれることになっていったと考えられることになるのです。

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光明神アポロンと聖なる大蛇ピュートーンへと捧げられた競技大会

そして、その後、

ティターン神族などの古代の神々に代わってオリンポスの神々天空を支配することになると、

オリンポス十二神の筆頭にしてギリシア神話の主神にあたるゼウスの子であったアポロンデルポイの地を訪れることになります。

牧人と家畜を守護する獣の脚山羊の角をもった半獣神であったパーンから予言の技を学び、自らの姉にあたる狩猟の女神アルテミスと共に弓術にも優れた神であったアポロンは、

デルポイの地を訪れた際に、この地を守護する大蛇ピュートーンと戦い、大蛇の頭を弓矢で射止めることによって退治してしまうことになります。

そして、その後は、

法の女神であったテミスに代わって、予言と芸術を司る光明神アポロンデルポイの地における神託の言葉を司っていくことになるのですが、

その際、

アポロンが、自分が射殺してしまった聖なる大蛇ピュートーンのことを弔うために、この地で執り行ったとされる壮麗な競技大会が原型となることによって、

のちの時代に、

こうしたデルポイの地における神託を司る神にあたる光明神アポロンを祀る祭典として開催されていくことになるピューティア大祭と呼ばれる古代ギリシアにおける競技の祭典のあり方が形づくられていくことになっていったと考えられることになるのです。

・・・

次回記事:古代オリンピックの最後の大会はいつ開催されたのか?最後の優勝者となったアルメニア王ヴァラズダトとテオドシウスの勅令

前回記事:イストモス大祭のギリシア神話の起源とは?王妃イーノーと息子メリケルテースの母子の悲劇と海の神パライモンとポセイドン

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