イストモス大祭のギリシア神話の起源とは?王妃イーノーと息子メリケルテースの母子の悲劇と海の神パライモンとポセイドン
前々回の記事で書いたように、古代ギリシアにおいて開かれていた大規模なスポーツの祭典としては、
古代のオリンピックにあたるオリンピア大祭のほかに、ネメア大祭とイストモス大祭とピューティア大祭と呼ばれる全部あわせて四つの競技大会の名が挙げられることになるのですが、
このうち、ギリシア本土とペロポネソス半島をつなぐコリントス地峡に位置する古代都市イストモスにおいて開催されていたギリシア神話における海の神ポセイドンを祀る競技の祭典であったイストモス大祭の神話的な起源は、
以下で述べるようなギリシア神話におけるボエオティアの王妃イーノーと、その息子メリケルテースという母と子の物語のうちに求められることになります。
王妃イーノーと息子メリケルテースの母と子の悲劇の物語
現在のギリシャ共和国の首都にあたるアテネの北西に位置する古代都市であったテーバイの王女として生まれたイーノーは、その後、テーバイを含むボエオティア地方全土に君臨していたアタマス王の後妻として迎えられることになり、
ボエオティアの王アタマスと王妃イーノーの間には、レアルコスとメリケルテースという名の二人の兄弟が生まれることになります。
そして、ある時、
イーノーの姉であったセメレーが、ギリシア神話の主神ゼウスによってみそめられ、二人の間には、のちに豊穣とブドウ酒の神として古代ギリシアの人々に崇められることになるディオニュソスが生まれることになるのですが、
このことを知ったゼウスの妻であった女神ヘラは、嫉妬のあまり怒り狂い、彼女がゼウスの本当の姿をその目で見るようにそそのかし、
ゼウスがその身にまとう雷光の灼熱の光を直接目にしてしまうことになったセメレーは、その光によって身を焦がし、焼かれ死んでしまうことになるのです。
そして、その後、
自分の不幸な姉とゼウスとの間に生まれた神の子であったディオニュソスのことを不憫に思った王妃イーノーは、ディオニュソスのことを自分の二人の息子たちと共に育てることに決め、
復讐を果たそうとして命を狙う女神ヘラからディオニュソスのことを守るとめに、彼のことを男の子ではなく娘と偽って育てていくことにします。
しかし、
やがてディオニュソスが成長して、もはやその姿を隠しておくことができなくなると、ゼウスとイーノーたちが自分のことを欺いてきたことを知った女神ヘラは、再び烈火のごとく怒り狂い、さらなる復讐を果たすために、
まずは、イーノーの夫であったアタマス王の心に狂気を吹き込み、狂気に駆られたアタマス王は、自分とイーノーの息子であったレアルコスのことを美しい白い鹿だと思って狩り立てて、彼のことを射殺してしまうことになります。
そして、
夫の残酷な所業を目の当たりにしてしまった王妃イーノーは、せめてもう一人の息子であったメリケルテースのことだけでも守ろうとして、狂気に取りつかれてしまった夫のもとを必死の思いに逃げ出していくことになるのですが、
最後まで復讐の手を緩めようとしない女神ヘラに追いつかれ、彼女によってイーノーの心の内にも狂気が吹き込まれることによって、
彼女は自らが守ろうとした最愛の息子メリケルテースを自らの手にかけて殺してしまい、すぐに我に返ったイーノーは、そのあまりの悲しみのために、息子の遺体を抱えて海へと飛び込み、そのまま海底深くへと二人で沈んでいったとも、
イーノーとメリケルテースの二人は、女神ヘラが吹き込む狂気によって追い立てられたアタマス王によって崖の上へと追い詰められ、そのまま二人で海へと飛び込んで、一緒に死んでしまうことになったとも語り伝えられているのです。
海の神パライモンとなった王子メリケルテースとイストモス大祭の起源
そして、
こうした女神ヘラの復讐の炎がもたらした王女イーノーとその息子メリケルテースの母子の悲劇ののち、こうした二人の死に深く心を痛めていたゼウスは、
自分の息子であったディオニュソスのことを守り育ててくれたイーノーと、そのために犠牲になったメリケルテースの母子のことを心にとめて、その恩に報いて償いをなすために、
二人の魂を天空へと引き上げて、母であるイーノーは海の女神レウコテアーとなり、そして、その息子であったメリケルテースは海の神パライモンとなることによって、二人で海の中で仲良く暮らしていけるようにしてあげることにします。
そして、その後、
女神レウコテアーと海神パライモンとして名を変えたイーノーとメリケルテースの二人の母子は、共に連れ立って、時折、嵐に遭って海に落ちた人々を助けてあげることになったため、
二人は、海の遭難者たちを救い、船と港を守る船乗りたちの守り神としてたちに古代ギリシアの人々に深く信仰されていくことになったとも語り伝えられているのですが、
こうして二人が海へと沈んでいったとされるコリンティアコス湾に面した港湾都市であった別名ではイストモスとも呼ばれるコリントスの町の創建者であったシーシュポスによって、
この地で命を落とすことになった幼い王子メリケルテースに捧げられた鎮魂のための競技大会が開かれることになり、
こうした海の神パライモンとなった王子メリケルテースの魂を弔うために開かれた競技大会が原型となることによって、
その後、同じくギリシア神話における海の神にあたるポセイドンへと捧げられたイストモス大祭と呼ばれる競技の祭典のあり方が形づくられていくことになっていったと考えられることになるのです。
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次回記事:ピューティア大祭のギリシア神話の起源とは?デルポイの巫女と神託の地を守護する聖なる大蛇ピュートーンとアポロンの関係
前回記事:ネメア大祭とは何か?古代ギリシア神話における起源となる二つの物語、ネメアの王子オペルテースの悲劇と鎮魂のための競技会
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