宇宙論的証明とは何か?②トマス・アクィナスによる三通りの神の存在証明の議論
前回書いたように、宇宙論的証明とは、現実の宇宙におけるあらゆる事物の因果関係の系列をさかのぼっていくことによって第一原因としての神の存在を論証するというタイプの神の存在証明のパターンのことを意味する概念であり、
それは、もともとは、アリストテレス哲学における「不動の動者」としての神を中心とする宇宙論のうちにその原型を見いだすことができる議論であると考えられることになります。
そして、こうした宇宙論的証明と呼ばれる神の存在証明の議論は、中世ヨーロッパのスコラ哲学における神学論争を通じてより洗練されていくことになり、
特に、スコラ哲学の大成者とされるトマス・アクィナスの主著である『神学大全』においては、より定式化された形で、宇宙論的証明に分類することができると考えられる三通りの神の存在証明の議論が提示されていくことになります。
トマス・アクィナスの『神学大全』における三通りの宇宙論的証明の議論
詳しくは、「トマス・アクィナスの「五つの道」における神の存在証明のあり方」で書いたように、
トマス・アクィナスの主著である『神学大全』においては、人間の理性によって現実における神の実在性を論証しようとする神の存在証明の議論が「五つの道」と呼ばれる全部で五通りの論証の方式として順番に提示されていくことになるのですが、
このうち、「第一の道」から「第三の道」までの三つの道において示されている神の存在証明の議論は、一般的に、前述した宇宙論的証明と呼ばれる神の存在証明のパターンに属する論証のあり方であると解釈されることになります。
そして、こうしたトマス・アクィナスの哲学思想における神の宇宙論的証明の議論のうちの一番はじめの論証にあたる「第一の道」では、
まず、世界の内には様々な運動する物体が存在するという経験的事実が示されたうえで、
そうした個々の運動の原因となる因果関係の系列をどんどん過去へとさかのぼっていくことによって、最終的に、
そうした宇宙におけるあらゆる物体の運動の究極の原因としての神の実在性の論証が行われていくことになります。
そして、その次の「第二の道」においては、
今度は、この世界の内にあるあらゆる物事の生成変化の起源としての原因のことを意味する始動因と呼ばれる哲学的な原因概念が導入されることによって、
「第一の道」においては物体の運動の原因として定義されていた神は、単なる空間内における事物の物理的な移動の原因となるだけではなく、始動因としてあらゆる物事の生成変化の原因ともなっているということが示されていくことになり、
こうした議論を通じて、宇宙において生じるあらゆる生成変化の究極の原因としての神の実在性の論証が行われていくことになります。
それに対して、三番目の神の存在証明の議論にあたる「第三の道」においては、
世界に存在するあらゆる事物が必然的な存在と偶然的な存在という二つの様相的な区分へと分類されたうえで、
そうした偶然的存在と必然的存在の両者を含めた世界全体が成立するための究極の根拠となる必然的な存在としての神の実在性が論証が行われていくことになり、
こうした三つの道における三通りの神の存在証明の議論を通じて、トマス・アクィナスの『神学大全』における神の宇宙論的証明の議論が完結することになるのです。
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以上のように、
トマス・アクィナスの主著である『神学大全』における「五つの道」と呼ばれる神の存在証明の議論のうちのはじめの三つの道においては、
「第一の道」では、単に現実の世界において物体が運動する力の由来をたどっていくことによって、あらゆる物体の運動の究極の原因としての神の存在証明がなされているのに対して、
「第二の道」においては、世界におけるあらゆる物事の生成変化の究極の根源となる始動因としての神の存在証明が行われていくことになり、
「第三の道」においては、偶然的存在と必然的存在の両者を含めた世界全体が成立するための究極の根拠となる必然的存在としての神の存在証明が行われていくという形で、
全部で三通りの神の宇宙論的証明の議論が提示されていると考えられることになるのです。
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次回記事:デカルトによる神の存在証明①無限性と完全性という観念に基づく神の実在性の論証
前回記事:宇宙論的証明とは何か?①アリストテレスの「不動の動者」に基づく神の存在証明の議論
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