先知後行説とは何か?知っていることを知っている通りに行うことの難しさ

先知後行説知行合一説は、
知と行の関係、すなわち、認識と行動の関係について説いた学説であり、

両者とも、どのようにすれば現実の社会において道徳を実現され、人々が善い生き方を実践することができるようになるのか?という倫理学の根本的な問いに答えるために近世の中国において唱えられた儒学の系統に属する倫理学上の学説ということになります。

それでは、

先知後行説と知行合一説はそれぞれ具体的にどのような内容をもった思想であり、両者の思想にはどのような違いがあると考えられることになるのでしょうか?

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朱熹の先知後行説、知っていることを知っている通りに行うことの難しさ

まず、

先知後行説(せんちこうこうせつ)とは、

12世紀南宋の時代の中国で、それまでの儒学を新しい形で体系化することによって生まれた朱子学の創始者である朱熹(しゅき)が提唱した実践道徳の学説であり、

先知後行」という言葉自体の意味が示す通り、

人々が善く生き、道徳を実現するためには、まず先に知を学んだ上で、その道徳的知識に基づいた行動をその後で実際に行うことができるように修練を積んでいくことが必要であるということを意味する学説となります。

そして、

先知後行説では、善なる徳道徳的知識についてそれを知として学ぶことはある程度短期間でも可能であり、比較的容易いですが、

それに対して、

そのようにして得られた知識に従って、実際に善なる行動を常に行うことができる人間になるためには、単なる知識の習得にかかかる時間の何十倍もの長い修練の時が必要となり、その実践は非常に困難であると考えられることになります。

通常の場合、人間には大人になるまでの間に、親からの教育や、それまでに読んだ本、あるいは、学校の道徳の授業などからでも、何が善い行いで何が悪い行いなのかといった善悪に関する道徳的知識について学ぶ機会は数多くあり、

そうした道徳的知識については、頭ではある程度十分に分かっていると考えられることになります。

しかし、

いざ、その知識に従って善行を実践しようとすると、そのためには、様々な形で自らの心の内に忍び寄ってくる悪への誘惑や欲望のすべてに打ち勝つだけのたぐいまれな心の強さが必要になるので、

何が善かを知るのは比較的容易いが、それを知っている通りに実践するのは難しいと考えられることになるのです。

例えば、

職場の上司や同僚といった自分の関係者、あるいは、自分が所属する会社自体が何らかの不正を行っていて、そのために自分とは直接関係のない人々が苦しんでいるといった場合、

不正に加担せずに、目の前で困っている隣人を助けることが善であり、それとは反対に、不正に加担して目の前の人を見捨ててしまうことは悪であることは頭では百も承知のことなのですが、

自分の出世をふいにし、生活が立ち行かなくなるかもしれないリスクを背負って、職場の上司からの圧力や同僚からの敵意をすべて跳ねのけてまで、目の前で困っている見ず知らずの他人のことを助けるという善行を実践することは実際には至難の業であると考えられることになります。

このように、

実際に自分の身に降りかかるかもしれないあらゆる苦難を顧みずに、人生のあらゆる場面において善行を行うことを果敢に決断し続けることは非常に難しく、

もしも、自分の人生においてそうした善行を常に行うことができる人物がいたとするならば、その人は、聖人救世主と言ってもいいほどに優れた稀有な人物であると考えられることになります。

そして、

現実の社会では、学校や職場、飲み会の席などで他人の行動の善悪について批判し、自分自身の道徳的な知見について語る人は多くても、実際に誰の目から見ても非の打ち所のない善行を行い続ける聖人と呼ばれるほどの善人に出会うことはほとんどないように、

善なることについては、それを知識としては知っていても、その知っていることを知っている通りに実践することは、実際には至難の業であると考えられることになるのです。

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以上のように、

朱熹が唱えた先知後行説においては、知識の習得は道徳の実践に先行し、先に知を学んだ上で、その知に基づいて後で道徳の実践が行われると考えられることになります。

そして、それと同時に、

道徳を実現し、善く生きるためのそれぞれの段階における困難さと重要性の比較においては、知を学ぶことは比較的容易く、学んだ知を知っている通りに実践することは困難であるとされているように、

先知後行説は、認識)よりも実践の方により重きが置かれた倫理学上の学説であると考えられることになるのです。

そして、これに対して、

南宋が元によって滅ぼされ、元を倒して建国されたの時代も後半に入ろうとする
16世紀の中国において、

こうした朱子学における先知後行説の考え方を批判する王陽明によって、新たな実践道徳の原理である知行合一説が説かれていくことになるのです。

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次回記事:知行合一とは何か?知行並進と知即行の思想

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