ローマの将軍スラによるアテナイの占領とアリストテレス文書の略奪そしてアテナイの富豪アペリコン、形而上学とは何か?④

前回書いたように、古代ギリシアの哲学者であるアリストテレスが生きていた紀元前4世紀の時代、アテナイを中心とする古代ギリシア世界は、アレクサンドロス大王率いるマケドニア帝国による征服を受けることによって、都市国家としての独立と繁栄の時代の終焉を迎えることになります。

そして、こうした古代ギリシア世界の混乱期にあって、アテナイを拠点に活動した哲学者であるアリストテレスの著作もその多くが一度は散逸してしまうことになるのですが、

それからおよそ300年後の時代に、これらの失われたはずの書物の一部は、一度アテナイの地へと運び戻されたうえで新たな征服者であるローマ人の手により古代ギリシア世界から奪い去られることになり、それが新たな形でのアリストテレスの著作の編纂へとつながっていくことになるのです。

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アリストテレスの死後の著作の行方とアテナイの富豪アペリコン

紀元前1世紀の時代のアテナイでは、マケドニアによる支配とこれに反対する反マケドニア勢力の台頭による混乱の中で、師であるアリストテレスの書物が奪われることを恐れた彼の弟子たちは、

それらの書物をより安全な場所で保管するために、著作の一部を隠したり、アテナイから遠く離れたより安全な地域へと一時的に持ち去ったりすることを画策するようになります。

そして、一説には、

こうしたアリストテレスの著作の一部は、彼の孫弟子にあたるネレウスの手によって、ギリシアの東方小アジア(現在のトルコ)北東部の小都市スケプシスへと持ち去られ、この地の地下の穴蔵に隠されたまま長い間放置されることになったとされているのですが、

いずれにせよ、こうした異邦の地に放置されたまま眠っていたアリストテレスの著作たちは、その資料としての価値が適切に見積もられることのないまま、紀元前100年頃までには同じく小アジアの西部の都市テオスの出身であったアペリコンという名の裕福な人物の手へと渡り、

その後、これらの書物は当時彼が住んでいたアテナイの邸宅へと運ばれたのち、彼の個人的な蔵書の内に加えられることになるのです。

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ローマの将軍スラによるアテナイの占領とアリストテレス文書の略奪

こうした紀元前1世紀の時代、すでにイタリア半島の統一と、西方の強国カルタゴの征服を成し遂げていた共和政後期のローマは、

そこからさらに東方へと領土拡大の矛先を向け、マケドニアからギリシア、そしてそのさらに東方のアナトリア地方(小アジア)へと侵攻していくことになるのですが、

紀元前88、こうしたローマの東方進出に対して、アナトリア北東部のポントス王国の王にして当時の東方世界の盟主であったミトリダテス6が反抗しローマ軍に対して戦端を開くと、

それに呼応して、アテナイスパルタを含む多くのギリシア諸都市がミトリダテスの側についてローマに対して反旗をひるがえすことになります。

しかし、

民衆派のマリウスと対立する共和政ローマの二大党派の内の一つである閥族派の首領であり、北アフリカで行われたユグルタ戦争などで活躍した猛将としても知られる将軍スラがローマ軍の精鋭を率いてギリシア本土へと上陸すると、

アテナイを含むギリシア諸都市は次々に各個撃破されて、ローマ軍によって制圧されていくことになり、

ここにギリシア世界のローマ軍に対する最後の抵抗はついえ、ギリシア世界は今度はマケドニアではなくローマによって二度目の征服を受けることになるのです。

そして、

紀元前86年にアテナイを占領したローマ軍は、ローマに対して反旗をひるがえしたことへの見せしめとして、この地で苛烈な略奪と破壊行為を働くことになるのですが、

この時に、アテナイに住んでいた富豪であるアペリコンが自らの邸宅の内に隠し持っていた蔵書のすべてもローマ軍に奪い取られてしまうことになり、

紀元前84将軍スラが率いるローマ軍は、アテナイの人々から奪い去った数々の物品とともに、富豪アペリコンの蔵書に含まれていたアリストテレスの失われた文書も自分たちの国の首都であるローマへと戦利品として持ち帰ることになるのです。

・・・

以上のように、

一度、ギリシアの東方の地に隠されたのち、再びアテナイの地へと戻され、たまたまこの地に住んでいた富豪が所蔵する蔵書の一部として保管されていたアリストテレスの失われた著作たちは、

紀元前1世紀の時代、ギリシア世界の征服を目指してこの地に侵攻していたローマの将軍スラによるアテナイの占領と略奪を通じて、ローマ本国へと持ち去られることになります。

そして、

東方地域への領土拡大と古代ギリシア世界の軍事的制圧を目指しながらも、古代ギリシア人の文化や学問を高く評価してもいたローマ人たちは、

これらの新しく手に入れた書物を価値の分からないまま放置するのでも、単なるコレクションとして個人の観賞用に保管するわけでもなく、

そこに書かれている思想内容を詳しく解き明かし、ギリシアの優れた知識を我がものとするために、

これらの新たに発見されたアリストテレスの著作の大規模な編纂作業へと取りかかっていくことになるのです。

・・・

次回記事:ロドス島の哲学者アンドロニコスによるアリストテレス著作集の編纂とローマの文法学者テュラニオン、形而上学とは何か?⑤

前回記事:マケドニアによるギリシア諸都市の征服とアリストテレスの迫害と著作の散逸、形而上学とは何か?③

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