マケドニアによるギリシア諸都市の征服とアリストテレスの迫害と著作の散逸、形而上学とは何か?③

前回書いたように、形而上学メタピュシカと呼ばれる概念の直接的な由来は、古代ギリシアの哲学者であるアリストテレスの一連の著作に対して付されたタ・メタ・タ・ピュシカta meta ta physikaというギリシア語の言葉に求められることになります。

そして、こうしたアリストテレスの一連の著作に対して上記の“ta meta ta physika”(タ・メタ・タ・ピュシカ)という言葉が付されることになった理由については、

アリストテレスが残した草稿や講義録などの数々の書物が後世において著作集として編纂されていく過程で生じた著作編纂上の理由に求められることになるのですが、

さらに、そうしたことの背景には、アテナイを中心とする古代ギリシア世界の諸地域が紀元前4世紀にアレクサンドロス大王率いるマケドニア帝国による征服を受けた後に、

紀元前1世紀の時代に、今度は、共和政期のローマからの度重なる侵攻を受けた後に、最終的にローマの将軍であったスラの手によって完全に制圧され、略奪を受けるという古代ギリシア世界二重の征服の歴史があったと考えられることになるのです。

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マケドニア帝国によるギリシア諸都市の征服と古代ギリシア哲学の衰退

紀元前4世紀古代ギリシアの哲学者であるアリストテレスAristotelesは、ギリシアの北東に位置するトラキアの出身ではあるものの、

17歳の時にアテナイを訪れ、プラトンが創立した学園であるアカデメイアに入門し、その後この地に20年間アカデメイアにとどまって学問研究を続けたことと、そののち、アリストテレス自身もこのアテナイの地にリュケイオンと呼ばれる学園を築いたことから、

アリストテレスは、その師であるプラトンソクラテスと共に、古代ギリシア哲学の全盛期を担うアテナイの三人の哲学者に数え上げられることになります。

アリストテレスが生きた紀元前4世紀の時代は、古代ギリシアにとって激動の時代であり、それまで、アテナイやスパルタ、テーバイといったそれぞれの都市国家が独立を保ってきた古代ギリシアの諸都市は、紀元前338年マケドニア王ピリッポス2世との戦いに敗れ、この地域の覇権を譲り渡したのち、

その後を継いでギリシアからエジプト、ペルシア、そして中央アジアを経てインド西部にまでおよぶ広大なマケドニア帝国を築き上げたアレクサンドロス大王によって完全に征服されることになります。

紀元前323にアレクサンドロスの大王が熱病により急死すると、アテナイを中心に反マケドニアの気運が広がるものの、こうしたギリシア諸都市の反乱はアレクサンドロスの遺将の一人であったアンティパトロスによってすぐに鎮圧され、

ここに古代ギリシアの諸都市の独立と繁栄の時代は終わりを告げ、その中心都市であったアテナイにおいて繁栄の土台となっていた民主政が終焉を迎えるとともに、そのもとで発展してきた古代ギリシア哲学も衰退へと向かっていくことになるのです。

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アテナイ市民によるアリストテレスの迫害と著作の散逸

こうした激動の時代の流れの中で、アレクサンドロスの死後の混乱期にあって、反マケドニアの気運が高まるアテナイにおいては、

アリストテレスがかつてアレクサンドロスの家庭教師としてマケドニアに招聘されていたことから、彼はギリシアを征服しアテナイに敗北をもたらしたマケドニアの内通者とみなされ、「不敬神」の罪で告発されるなど、身の危険にさらされることになります。

そして、このような経緯から、アテナイ市民からの迫害を受けたアリストテレスは、アレクサンドロス大王の死と同年である紀元前323に自ら身を引いてこの地を去り、母方の郷里があったギリシアの東方、エーゲ海西部に位置するエウボイア島の都市カルキスに身を寄せることになるのですが、心労がたたったのか彼はこの地に着いたのちすぐに病に倒れてしまい、

アテナイを去った翌年の紀元前322、アリストテレスは失意のままこの地で62歳の生涯を閉じることになるのです。

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こうした当時のアテナイを中心とするギリシア諸都市の戦乱と混迷の中で、アリストテレスの著作もその多くが一度は散逸してしまうことになるのですが、

その著作の一部は、ギリシア東方の小アジア(現在のトルコ)へと持ち去られ、この地で地下の穴蔵に隠されるようにして保管されたのち、長い間、誰の目にもとまることのないまま放置されることになります。

そして、

こうした異邦の地の地下に眠るアリストテレスの一連の著作たちは、彼がこの世を去ってから300年の時を経たのち、

ローマによって古代ギリシア世界が二度目の征服を受ける時代に掘り起こされ、再び日の目を見ることになるのです。

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次回記事:ローマの将軍スラによるアテナイの占領とアリストテレス文書の略奪そしてアテナイの富豪アペリコン、形而上学とは何か?④

前回記事:形而上学とは何か?②古代ギリシア語におけるメタピュシカの意味と文法的解釈

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