目的の王国とは何か?カントの倫理学における「目的の王国の定式」に合致する道徳的に正しい意志に基づく行為の具体例
「目的の王国」とは、カントの倫理学において、
すべての人間が相手の人格を手段としてだけではなく目的として扱うことによって、互いの人間性を最大限に尊重し合って生きていくという相互扶助的な関係を基盤にして成り立つような理想の社会のあり方のことを意味する言葉であり、
より正確に言えば、
カントの主著の内の一つである『実践理性批判』のなかで語られている
「汝の人格と他者の人格の内なる人間性を手段としてのみではなく常に同時に目的として扱うように行為せよ」
という言葉によって示されている「目的自体の定式」あるいは「目的の王国の定式」と呼ばれる道徳的な定式に基づく行為が、
こうした目的の王国の実現へと向かっていくために一人ひとりの人間に求められる道徳的に正しい生き方として位置づけられていると考えられることになります。
「目的の王国の定式」に合致する道徳的に正しい意志に基づく行為のあり方の具体例とは?
それでは、
こうしたカントの倫理学における考え方に基づくと、
具体的には、いったいどのような行為が、そうした目的の王国の定式にかなった道徳的な行為の具体例として挙げられることになるのか?ということについてですが、
例えば、
駅のホームで倒れ込んでいる人を見かけた時、倒れている人のそばに駆け寄って救助にあたるという行為に及んだ場合でも、
そうした人命を救助するという道徳的な行為が、倒れている人がお金持ちに見えたので後で多額のお礼をしてもらえることを期待してそうした行為に及んだ場合や、
人助けをしている様子を周りの人々に見せることによって自分の評判を挙げたいと思った、あるいは、助けに行かなかったときに周りの人々から非難の視線が向けられるのが嫌なので助けたといった場合には、
人命救助という道徳的な行為自体が目的ではなく、そうした人助けという行為を手段として自分自身が何らかの利益を得るために行為していると考えられることになるので、
それは、必ずしも上記の目的の王国の定式に当てはまるような道徳的に正しい意志に基づく行為であるとは言えないと考えられることになります。
そして、それに対して、
まったく同じ倒れている人のそばに駆け寄って救助にあたるという行為が、目の前に倒れている相手自身のために、
すなわち、助けるべき相手の人格と人間性を最大限に尊重することを目的として、そうした道徳的な行為が行われる場合には、
それは、まさしく上述した「目的の王国の定式」に合致する道徳的に正しい意志に基づく行為として位置づけられることになると考えられることになるのです。
他者のために自らの命を投げ出す自己犠牲的な行為は「目的の王国の定式」合致する道徳的に正しい行為であると言えるのか?
ただし、
上述した「目的の王国の定式」において示されている常に目的として尊重されるべき人間性のあり方が、
他者の人格についてだけではなく、汝すなわち自分自身の人格についてもそれが最大限に目的として尊重されるべきものとして位置づけられているという点には少し注意を払うことが必要であると考えられ、
例えば、
駅のホームから線路へと転落してしまった人を助けようとするときに、その人を助けるために電車が入ってくる寸前の線路に飛び込んで自分の命を失う危険を冒してまでその人のことを救助しようとする自己犠牲的な行為は、
それが相手の人格のことは最大限に尊重している勇敢な行為であるとは言えるものの、それと同等に尊重されるべき自分自身の人格のことをないがしろにしている行為であるとも捉えることができると考えられることになります。
つまり、
こうした自らの命を捨ててまで他者の命を救おうとする自己犠牲的な行為においては、
自分自身の人格のことを尊重されるべき目的として扱わずに、他者の人格を尊重するための単なる手段として扱ってしまっていると考えられることになるので、
それは、カントの倫理学における「目的の王国の定式」に十全な意味において合致する道徳的に正しい行為であるとは必ずしも言い切ることができないと考えられることになるのです。
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以上のように、
こうしたカントの倫理学における「目的の王国」と呼ばれるような理想の社会の実現を目指していく道徳思想においては、
すべての人間が相手の人格と自分自身の人格とを手段としてだけではなく常に同時に目的として扱うことによって、自己と他者の人間性を最大限に尊重し合って助け合って生きていくという
相互扶助的で平等な関係に基づく人間における道徳的な生き方が示されていると考えられることになるのです。
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