オリンピックにマラソン競技が導入された具体的な理由とは?古代ギリシアにおける自由主義と民主主義の勝利を象徴する競技

現代のオリンピックにおいてオリンピックを代表する花形種目としても位置づけられている42.195kmを走る長距離走の種目にあたるマラソン競技は、

近代のオリンピック1回大会にあたる1896年アテネオリンピックから、近代オリンピックの誕生と同時に、オリンピック競技として新たに導入されることになったと考えられることになります。

そこで、今回の記事では、こうしたマラソンと呼ばれる競技が、現代のオリンピックにおいて新たに導入されていくことになった具体的な理由について、もう少し詳しく考えていってみたいと思います。

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近代オリンピックにマラソン競技が新たに導入された具体的な経緯とは?

そうすると、まず、

こうした近現代のオリンピックにおけるマラソン競技は、近代オリンピックの起源となった古代のオリンピックにあたるギリシアオリンピックの祭典の段階においては、いまだ行われていなかった競技にあたり、

そういった意味では、こうしたマラソンと呼ばれる競技は、古代のオリンピックの段階においては存在していなかった近現代のオリンピックにおけるオリジナルの競技として位置づけられることになると考えられることになります。

そして、

マラソン競技は、現代へと続く近代オリンピックの創始者にあたるフランスクーベルタン男爵の親しい友人であり、古代ローマやギリシア古典文献学にも精通した19世紀のフランス言語学者であったミシェル・ブレアルの発案によって、

近代のオリンピック1回大会にあたるギリシアで開催されたアテネオリンピックから新たに導入されていくことになるのですが、

 こうしたマラソンと呼ばれる長距離走の種目の競技の名前にあたるマラソン(Marathonという言葉自体の由来は、

かつて古代ギリシアマラトン(Marathonにおいて行われたアテネ軍を中心とするギリシア軍ペルシア帝国との間で戦われたマラトンの戦いに求められることになると考えられることになります。

そして、

こうした古代ギリシアマラトンの戦いにおいて、ギリシア軍側の勝利の吉報を告げ知らせるために、戦場であったマラトンからアテネまでの40kmほどの道のりを全力で走り切ったのち、

アテネへと到着して使者としての役割を果たすと同時に力尽きて命を落とすことになってしまったというアテネの使者について語られている古代ギリシアの故事直接的な由来となることによって、

こうした42.195kmを走っていく長距離走の種目としてのマラソン競技と呼ばれる陸上種目のあり方が形づくられていくことになっていったと考えられることになるのです。

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古代ギリシアにおける自由主義と民主主義の勝利を象徴する競技としてのマラソン競技の位置づけ

それでは、次に、

いったいなぜ、こうした古代ギリシアにおいてペルシア帝国に対する勝利を告げ知られた古代ギリシア人の使者に関する故事に由来するマラソンと呼ばれる競技が、

平和の祭典としてのオリンピックを代表するような陸上競技として、近代オリンピックの段階から新たに導入されることになったのか?ということについてですが、

それについては、

こうしたマラソン競技の由来となったマラトンの戦いにおける古代ギリシア人の勝利は、単なる古代の戦争における一方の国の側の勝利のことを意味するだけではなく、

現代のヨーロッパへとつながる一つの世界と、現代の世界の基盤となっている普遍的な価値観が守られたことを意味する勝利として位置づけられることになるといった点が挙げられることになると考えられることになります。

マラトンの戦いが行われた紀元前5世紀の時代は、

古代の東方世界に君臨したメディアリュディア新バビロニアエジプト四王国を次々に滅ぼしてオリエント世界を統一した巨大な領土強大な軍事力を有する専制国家であったペルシア帝国が、

さらに、その版図を西方のヨーロッパ世界へと向けて拡大していこうとしていた時代にあたり、

古代ギリシア哲学の発祥地にもあたるミレトスなどといった現代のトルコ西岸にあたるイオニア地方ギリシア人植民都市たちも、そうしたペルシア帝国からの強い圧力を受けることによって帝国の支配下へと次々に飲み込まれていくことになります。

そして、そうしたなか、

ついにギリシア本土へと進軍した戦艦600総勢2万人にもおよぶペルシアの大軍を、ペルシア側の半分にも満たないわずかな兵力で迎え撃ち、これを打ち破ることによって、

ペルシア帝国によるギリシア世界そしてヨーロッパ世界の侵略を食い止めることに成功した戦いが、こうした古代ギリシアにおけるマラトンの戦いであったと考えられることになるのです。

・・・

以上のように、

こうした古代ギリシアにおけるマラトンの戦いは、

巨大な領土を有する強大な専制国家であったペルシア帝国から、現代のヨーロッパへと通じる古代ギリシア世界を守り切った戦いにあたり、

さらに言えば、そうした古代ギリシア世界のうちに息づいていた自由主義や民主主義といった現代の世界の基盤となる普遍的な価値観を守り抜くことに成功した戦いとしても位置づけられることになると考えられることになります。

そして、そういった意味では、

こうした古代ギリシアマラトンの戦いを起源として新たに創設されることになったマラソン競技は、

強大な専制国家であったペルシア帝国による侵略からギリシア世界を守ることによって、古代のヨーロッパ世界恒久的な平和がもたらされたことを象徴する競技であると同時に、

そうした巨大で抑圧的な専制国家に対する自由主義と民主主義の勝利を象徴する競技でもあるという意味において、

平和の祭典にあたる近代オリンピックにおける主要な競技の一つとして新たに導入されることになっていったとも考えられることになるのです。

・・・

次回記事:マラソンが平和の祭典であるオリンピックの最後を飾る競技となった理由とは?恒久的な平和と一時的な休戦としての平和の違い

前回記事:聖火リレーと聖火ランナーの由来と大本の起源とは?古代ギリシアと近代ドイツにおける二つの起源

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