イタリア語とラテン語のアモーレの意味の違いとは?『蒼天航路』における曹操と水晶の悲恋
前回書いたように、
イタリア語で愛、愛する人のことを意味するアモーレ(amore)という言葉の語源は、ラテン語において愛そして愛の神のことを意味する言葉であるアモール(amor)にあると考えられます。
そして、
ラテン語においては、それぞれの単語が文中で担う役割である格に応じて、名詞や形容詞が主格・属格・与格・対格・奪格というように、様々な形に変化していくことになるのですが、
その多様な名詞の活用変化の内の一つとして、イタリア語と全く同じアモーレ(amore)という言葉自体もラテン語文法の中に出てくることになります。
ラテン語におけるアモーレの意味とは?
ラテン語において愛を意味する名詞であるamor(アモール)は、ラテン語文法においては、第三変化子音幹名詞の男性名詞に分類されますが、
そのamorの単数形における具体的な格変化は以下のようになります。
主格:amōr(アモール)
属格:amōris(アモーリス)
与格:amōrī(アモーリー)
対格:amōrem(アモーレム)
奪格:amōre(アモーレ)
そして、
このamor五番目の格変化である奪格の形が、イタリア語と全く同じamore(アモーレ)という言葉になるのです。
それでは、
こうした愛を意味する名詞amorの奪格amore(アモーレ)がラテン語では具体的にはどのような意味になるのか?ということですが、
ラテン語において奪格は、
出自(~から)や手段(~によって)、時(~に)、原因(~のために)というように副詞的に用いられることによって、様々な関係性を表す格ということになります。
したがって、
ラテン語において愛を意味する名詞であるamorの奪格であるamore(アモーレ)も、
その言葉が使われる状況によって、
“from love“(愛から)、”by love“(愛によって)、”with love“(愛と共に)、というように様々な形で訳し分けられると考えられることになるのです。
『蒼天航路』におけるアモーレ!の意味とは?曹操と水晶の悲恋
具体的にラテン語のアモーレという言葉が用いられているケースとしては、
例えば、
原作李學仁(イ・ハギン)、漫画王欣太(キング・ゴンタ)による『蒼天航路』の第二巻において、
主人公である曹操が、おそらくは彼が心から愛した最初の女性という設定であると思われる水晶という名の褐色の肌の西域の女性に「アモーレ!」と呼びかけるシーンが挙げられます。
『蒼天航路』は、蜀の劉備ではなく魏の曹操を主人公として、三国志を作者独自の視点から新たな物語として描き出した作品ですが、
この新たな三国志の物語の中では、
まだ十代の若き日の曹操は、茶屋の使用人として奴隷のような形で働かされていた西域出身の胡人(中国から見て北方や西方の未開の世界に居住する人々への呼称)である水晶と出会うことになるのですが、
曹操は彼女から自分がまだ目にしたことがない遠い西方の世界の物語を聞き、水晶は彼の何ものにも捕らわれない自由な思考に触れるにつれて、二人の愛が深まっていくことになります。
そして、
上記の「アモーレ!」という言葉は、漢帝国の宮廷に蔓延る悪しき宦官の首領である張譲の毒牙にかかろうとする水晶を救い出そうと曹操が自ら単身で張譲の屋敷へと乗り込み、彼女を連れ出そうとするシーンで放たれることになるのです。
ちなみに、
劇中での水晶の台詞は、その後、「あなたは残酷なお方、あり余る自信に溢れてなんでも自分の思い通りになると信じている。…でも、私に生きる力をくれた、ほんの束の間生きるだけの。」と続き、
彼女は、おそらくは曹操の命を救うために、自らが張譲に刃を向けることによって衛兵に切り殺される道を選ぶことになります。
それでは、
この作品中におけるアモーレという言葉は、イタリア語のアモーレと、ラテン語のアモーレのどちらに基づく言葉なのか?ということですが、
歴史上の人物としての曹操が生きたのは、古代中国の後漢末期の西暦155年~220年の時代であり、上記のシーンの舞台設定も、漢帝国末期の西暦170年頃の時代設定であることを考えると、
それはやはり、イタリア語のアモーレではなく、ラテン語のアモーレであると解釈する方が適切であると考えられることになります。
なぜならば、
現代のイタリア語へと通じる古イタリア語が成立したのは、西暦476年に西ローマ帝国が滅亡してから民衆ラテン語の方言化が進行していき、別の言語として完全に自立していく10世紀頃までの間と考えられているので、
曹操が生きていた西暦2世紀頃の時代には、イタリアと呼ばれる国家はもちろんイタリア語という言語自体が存在していなかったと考えられるからです。
そして、
曹操がユーラシア大陸の東方の世界で自らの新たな覇業へと歩み出そうとしていた時、その反対側の西方世界であるヨーロッパを支配し、最強の世界帝国として君臨していた国家こそがローマ帝国であったので、
ここで使われている言語も、正確な時代設定に従うと、イタリア語ではなく、ローマ人の言語であるラテン語であると考えられることになるのです。
・・・
そして、以上のような解釈に従うと、
『蒼天航路』における「アモーレ!」という言葉は、ラテン語文法に則った正確な意味としては、
「愛によって」(by love)、あるいは、「愛と共に」(with love)といった意味で用いられていると解釈する方が適切であると考えられることになります。
つまり、
「アモーレ!」という言葉において、曹操は、
自分の恋人である水晶のことを単に指して「愛しき人」(my lover)と呼んでいるわけではなく、
彼女に対して、愛と共に、愛が定める運命に従って、自分と一緒にこの世界から旅立ち自由を手にしようではないかと語りかけていると解釈する方が適切であると考えられるということです。
・・・
現代においては、アモーレというと、まず第一には、イタリア語で愛や恋人のことを意味するアモーレがイメージされることになりますが、
上記の『蒼天航路』におけるアモーレの解釈のように、
相手に直接呼びかける言葉としては、ラテン語の意味におけるアモーレ(愛と共に)の表現の方が、場合によっては、より力強くしっくりくるケースがあるとも考えられることになるかもしれません。
・・・
前回記事:アモーレの語源とは何か?ローマ神話の愛の神アモールとキューピッド
関連記事:古代ギリシアにおける四つの愛の概念の違い、エロスとフィリアとアガペーとストルゲー
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