心理学における「合理化」と「知性化」の違いとは?現状の認識の側を歪める「合理化」と自分自身の心の側を変化させる「知性化」の相違点、防衛機制とは何か?㉑
以前に「心理学における「合理化」の意味とその具体例」および「心理学における「孤立」と「知性化」の関係」の記事で取り上げたように、
現実の社会生活において生じる様々な心理的ストレスから人間の心を守る様々な種類の自我の防衛機制の働きの中でも、特に、合理的な判断や知性的な分析といった人間の心の理性的な機能が深く関わる心の働きとしては、
「合理化」と「知性化」と呼ばれる二つの防衛機制の種類が挙げられることになると考えられることになります。
そこで、今回の記事では、こうした「合理化」と「知性化」と呼ばれる二つの防衛機制のあり方の具体的な特徴の違いについて、改めて整理していく形で詳しく考えてみたいと思います。
「合理化」と「知性化」における理性の働き方の違いとは?
まず、冒頭で挙げた二つの記事においてすでに詳しく考察してきたように、心理学の分野において、「合理化」と「知性化」と呼ばれる二つの防衛機制の働きの両者は、それぞれ、
「合理化」(Rationalization)は、自分の心の内に存在する満たされない欲求や不安などに対して、合理的な説明を与えることによって、自分自身を納得させようとする心の働きとして定義されることになるのに対して、
「知性化」(Intellectualization)は、いったん自分自身の心の内で遮断された感情や現状についての認識を知性的な働きによって観念化して整理していくことによって、論理的な形で理解していこうとする心の働きとして定義することができると考えられることになります。
それでは、こうした「合理化」と「知性化」という二つの心の働きの間には、具体的にどのような特徴な違いが見られることになると考えられるのか?ということについてですが、
それについては、例えば、
第一希望として夢見ていた会社への就職や大学への入学などに失敗してしまった人物が、自分自身の心と折り合いをつけて、そうした社会的な失敗がもたらす心理的ストレスから離脱しようとする際に、
「合理化」と呼ばれる防衛機制の働きを用いて問題の解決を図ろうとする場合には、以前に「酸っぱいブドウ」のたとえ話で取り上げたイソップ物語に出てくるキツネのように、
自分のことを落とした会社や大学は、どうせ見る目のないダメな会社だったに違いないので、かえって落ちた方が良かった、などと少し屁理屈めいたところもある合理的な説明をでっち上げることによって自分自身の心との折り合いをつけていくことになると考えられることになります。
そして、それに対して、
同じ状況において、「知性化」と呼ばれる防衛機制の働きを用いて問題の解決が図られる場合には、今度は、そうした社会的な失敗に際して自分自身の心の内に生じる悲しみや悔しさといった負の感情をいったん遮断したうえで、
いま自分の心はきっとショックを受けて絶望の闇の中に沈んだような状態にあるのであって、きっと一週間くらいはこのまま落ち込んだ状態で過ごすことになるのだろうが、結局、自分が試験や面接に落ちようが受かろうが、周りの物事は何事もなかったように同じように進んでいくし、宇宙全体の視点に俯瞰して立つと、こうしたすべてのことはどちらの場合でも同じような取るに足らない出来事なのだろう、などと
そうした一連の状況をまるで他人事のように客観的に突き放して捉えることによって、自分の心にとって辛い出来事から心理的な距離を置き、状況全体を俯瞰した視点から冷静に分析していくことを通じて自分自身の心との折り合いをつけていくことになると考えられることになるのです。
現状の認識の側を歪める「合理化」と自分自身の心の側を変化させる「知性化」との相違点
以上のように、
こうした「合理化」と「知性化」と呼ばれる二つの防衛機制の働きにおいては、両者とも問題となる状況の認識に対して論理的な説明を導くことによって自分自身の心を納得させようとする人間の心における理性的な機能が深く関わってくることになると考えられることになるのですが、
前者の「合理化」においては、半ば屁理屈めいた強引な形で合理的な説明がでっち上げられていくというように、自分自身の側の都合に合わせて、現状に対する認識が歪められていく形で理性的な分析が進められていくことになるのに対して、
後者の「知性化」においては、辛い現状の認識を受け入れる際に自らの心の内にわき起こる様々な負の感情や情動をいったん遮断したうえで、そうした自らの感情を含む一連の認識をまるで自分のことではないかのように客観的に突き放して捉えていくというように自分自身の心の側に存在する感情の捉え方自体が変化していく形でそうした理性的な分析が進められていくことになると考えられることになります。
つまり、そういった意味では、
こうした「合理化」と「知性化」と呼ばれる二つの心の働きのあり方の主要な性質の違いとしては、
心理的なストレスの強い過酷な現状に対する理性的な分析を可能とするために生じる認知のあり方の変化として、
「合理化」においては、自分自身の心の側の都合に合わせて現状に対する認知のあり方を変化させていくことになるのに対して、
その反対に、
「知性化」においては、現状に対する認識をそのまま受け入れようとすることに合わせて自分自身の心の側における感情の認知のあり方の方を変化させていくことになるといった点に、
こうした二つの防衛機制の働きの間に存在する具体的な相違点を見いだすことができると考えられることになるのです。
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