古代中国における大蟲と『風の谷のナウシカ』における王蟲の関係とは?足を持った生物である蟲と足を持たない豸の区別
現代における「虫」という漢字と、その旧字体としても用いられていた「蟲」という漢字については、詳しくは「虫と蟲の違いとは?」の記事で書いたように、
「虫」という漢字の方は、もともとはヘビやマムシといった爬虫類のことを意味する漢字であったのに対して、「蟲」という漢字の方は、もともとは昆虫やクモのような小さな虫が数多く集まっている様子のことを表す漢字であり、
両者とも、古代においては、こうした昆虫や爬虫類といった特定の生物の種族だけではなく、あらゆる動物の総称のことを意味する言葉として用いられてきた文字であったと考えられることになります。
そして、このように、
こうした虫や蟲といった字は、それぞれの漢字が持つ具体的な意味内容のあり方や、漢字自体の成り立ちにおいて、いろいろと錯綜した複雑な事情を持つ漢字であると考えられることになるのですが、
こうした虫や蟲として総称される生き物たちのグループに具体的にどのような種類の生物が分類されることになるか?という問題については、
前の記事で述べたこととは少し異なるまた別の観点からも議論を進めていくことができると考えられることになります.
足を持った生物である蟲と足を持たない生物である豸との区別
冒頭で挙げた虫や蟲といった漢字が用いられている熟語のなかには、そうした様々な虫たちの具体的な種類の区分のあり方を表す言葉として蟲豸(ちゅうち)あるいは虫豸という言葉がありますが、
こうした蟲豸という言葉においては、
前半の蟲(ちゅう)という字によって表わされる生物の種類には、昆虫やクモなども含めた足を持つ生物の種族が分類されるのに対して、
後半の豸(ち)という字によって表わされる生物の種類には、ヘビやトカゲといった足を持たない生物の種族が分類されることになります。
つまり、
こうした蟲豸という言葉における虫の種類の区分のあり方においては、この世界に存在する様々な生物のなかで、植物を除くあらゆる生物は、足を持っているか持っていないかという点だけを基準として二つの大きなグループへと分けられていくことになり、
そうした二つの生物のグループのうちの前者であり、圧倒的多数の生物の種類が分類されることになる足を持つ生物の種族のことを意味する言葉が蟲という言葉であるとも捉えることができると考えられることになるのです。
古代中国で虎のことを意味した大蟲と『風の谷のナウシカ』における王蟲
そして、
こうした蟲豸といった言葉にも表わされているような広義における虫の種類の区分のあり方に基づいて、
古代中国においては、そうした足を持つ生物の種族である蟲のなかでも、最も強大な力を持つ生物のことを指して、大蟲(だいちゅう)と呼ばれる表現がなされることもあったとされているのですが、
こうした古代中国において大蟲と呼ばれていた生物は、具体的には大きな虎のような生物のことを意味してこうした言葉が用いられていたと考えられることになります。
ちなみに、
こうした「蟲」という字が用いられている有名な言葉としては、
以前に「蟲愛づる姫君」や「蠱毒」における虫の概念」で詳しく取り上げた古代中国における呪術や実験の一種である「蠱毒」(こどく)や、
日本の平安時代後期において成立した物語集である『堤中納言物語』のなかに出てくる「蟲愛づる姫君」(むしめづるひめぎみ)といった古典作品の題名などが挙げられることになりますが、
そのほかにも、現代における文学作品のなかで、こうした「蟲」という言葉が大きな意味を持った存在として出てくる有名な作品としては、
1984年にこの作品の著者である宮崎駿(みやざきはやお)監督自身によってアニメ映画化された漫画作品である『風の谷のナウシカ』に出てくる王蟲(オーム)と呼ばれる想像上の生物の名なども挙げられることになります。
『風の谷のナウシカ』においては、滅亡した過去の文明によって汚染された不毛の大地に、人間にとって有毒の瘴気(しょうき)を発する巨大な菌類の森によって覆われた腐海(ふかい)と呼ばれる新たな生態系が形成されていくことになるのですが、
この物語のなかで語られている王蟲とは、
そうした腐海の内に生きている様々な蟲たちのなかでも、80メートルにも及ぶ最大の体長と、セラミックの刃をも弾き返す硬い装甲、14個の眼と多数の歩脚を持ち、知性を持って人間の心の内に直接語りかけることができる不思議な力をも持った森全体の意志をも司る存在であるとされていて、
そういう意味では、
王蟲とは、言わば、こうした瘴気によって覆われた巨大な森全体を統べている腐海の森の王として位置づけられる存在として描かれていると考えられることになります。
・・・
そして、
今回取り上げた蟲豸という言葉や、古代中国において虎のことを意味していた大蟲といった言葉において用いられている蟲という言葉の具体的な意味の広がりのあり方に基づいて考えていくと、
こうした『風の谷のナウシカ』において語られている王蟲と呼ばれる存在は、
現代における一般的な虫のイメージにあるような単に昆虫やクモといった下等動物のなかで最も巨大で強力な虫の王であるということを意味しているだけではなく、
そうした古代中国における大蟲の概念や、百獣の王や万物の霊長といった言葉にも匹敵するような
大地の上を這い回り地に蠢くあらゆる生物たちを統べている地上における至高の存在のことを表す言葉としてこうした王蟲という言葉が用いられていると解釈することもできると考えられることになるのです。
・・・
次回記事:王蟲とは何か?腐海の森の命そのものを体現する再生の存在としての王蟲の姿と宮崎駿の原作漫画における王蟲の記述の全体像
前回記事:弱虫、泣き虫、本の虫にはなぜ「虫」がつくのか?二重の意味によって説明される虫という言葉自体の解釈
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