ライプニッツにおける生得観念の定義①知性の生得的な能力と機能としての観念 、生得観念とは何か?⑤

前回までの一連の記事で書いてきたように、

生得観念とは、もともとは古代ギリシアの哲学者であるプラトンのイデア論における想起説の議論に起源をもち、近代観念論の祖であるデカルトによってより明確な形で提唱された哲学上の概念であり、

生得説においては、通常の場合、人間の心の内には「善」や「美」、あるいは「無限性」や「神」といったある種の観念や認識が生まれながらに備わっているとされることになります。

そして、こうした生得観念と呼ばれる観念が人間の心に生まれつき備わっているとあするる生得説の主張は、

デカルト同時代を生きた唯物論の立場をとるフランスの哲学者であるガッサンディや、イギリス経験論の代表的な哲学者であるジョン・ロックから厳しい批判を受けることになるのですが、

こうした近代哲学における生得観念の議論は、彼らよりも少し後の時代の哲学者であるライプニッツによる生得観念の再定義を経ることによって、新たな展開を迎えていくことになるのです。

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ライプニッツにおける知性の生得的な能力と機能としての生得観念

ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツGottfried Wilhelm Leibniz、1646年~1716年)は、哲学上の業績の他にも、数学や法学、神学や論理学といった多分野に渡る数多くの業績を残した近代のドイツにおける万能人として知られる人物であり、

彼は、デカルトが切り拓いた観念論哲学の道を批判的に継承しながら自らの哲学の体系を打ち立ていく中で、デカルト哲学の内にあった生得観念の思想についても、これを擁護する議論を展開していくことになります。

例えば、

ライプニッツは、彼自身の著作の一つである『人間知性新論』において、イギリス経験論の代表的な哲学者であるロックが唱えた人間知性白紙説(タブラ・ラサ)に対して、以下のような批判的な注釈を書き加えていく形で生得観念の存在を肯定する議論を提示していくことになります。

彼はその議論において、まず、

あらかじめ感覚の内に存在しなかったものは、知性の内にも存在しない」というロックガッサンディといった経験論的認識論の立場をとる哲学者たちの見解を提示したうえで、そこに、

ただし、知性そのものを除いては」という一文を書き加えることになります。

つまり、

ロックに代表される経験論者たちが主張するように、人間の心の内に「善」や「美」といった観念が明瞭な形で生得的に備わっているといったことはありえず、

確かに、人間の心の内にあるあらゆる認識と観念は、感覚を通じた経験を得ることによってはじめて顕在化すると考えられることになるのですが、

そうした様々な感覚と経験から一定の観念を形成していく知性の働き自体は、そうした感覚や経験が与えられる以前に、人間の心の内に生まれながらに備わっている存在であると考えられるということです。

これは、タブラ・ラサという言葉のラテン語の語源について考察した記事で書いた内容とも重なることですが、

人間の心は、現実の世界に誕生した時点では、それがいかなる感覚や経験によっても満たさていないという意味においては、ある種の空白の状態にあるとは言えるとしても、

そうした空白の状態は、心の内に何も存在しないというまったくの無の状態を意味しているわけではなく、

その内には、感覚を通して与えられる様々な経験を一つの認識や観念へとまとめ上げていく知性の働きや能力のようなものがすでに存在していると考えられることになります。

つまり、

人間の心の内には、後天的に与えられることになる様々な経験を一定の観念へとまとめ上げていくことを可能とする潜在的な能力や機能としての知性の働きや、ある種の基層構造のようなものがすでに存在していて、

ライプニッツにおいては、そうした観念をつくり上げる知性の生得的な能力や機能が、人間の心に生まれながらに備わっている生得観念と呼ばれる観念の本質であると捉えられることになるのです。

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以上のように、

ライプニッツの『人間知性新論』における生得観念の擁護と、ロックの白紙説に対する批判の議論に従うと、

人間の心の内には、後天的に与えられる様々な感覚や経験を一つの観念や認識へとまとめ上げていくことを可能とする潜在的な能力や機能としての知性の働きが生得的に備わっていると考えられることになります。

そして、ライプニッツにおいては、

こうした様々な観念や認識を形づくる観念のもととなる観念としての知性の働きが、人間の心の内には生得的に備わっているとされ、

そうした人間の心の内にある知性の生得的な能力と機能の存在が、生得観念と呼ばれる観念のあり方の本質として捉え直されていくことになるのです。

そして、こうしたライプニッツによる生得観念の批判に対する批判は、さらに、ロックが主張する知性の本質的なあり方に関する議論に対しても向けられていき、

そこでは、現代の心理学における無意識にもつながる概念である微小表象と呼ばれる人間の知性の働きに関する議論から、さらに別の観点からの生得観念の擁護論が展開されていくことになるのです。

・・・

 次回記事:ライプニッツにおける生得観念の定義②無意識へと通じる微小表象の内にある潜在的な観念の存在、生得観念とは何か?⑥

前回記事ジョン・ロックとイギリス経験論における生得説の批判とタブラ・ラサ、生得観念とは何か?④

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