タブラ・ラサとは何か?②ラテン語におけるタブラの意味と黒板とチョーク
前回書いたように、一般的に、哲学史上の概念としてのタブラ・ラサ(あるいはタブラ・ラーサ、tabula rasa)というラテン語の言葉は、
人間の心が、その誕生の段階において、いかなる観念や原理も書き込まれていない白紙の状態にあるとするロックの白紙説と同じ意味を持つ言葉として捉えられることになります。
しかし、このタブラ・ラサという言葉を、もともとのラテン語の字義上の意味にまでさかのぼってより厳密な形で解釈していくと、
この言葉は、単なる何も書かれていない手つかずの状態の白紙といった意味とは少し異なる意味合いも含まれたより深みのある概念として捉えられると考えられることになるのです。
ラテン語におけるタブラの意味と黒板とチョーク
まずはじめに、タブラ・ラサ(tabula rasa)という言葉の前半部分であるtabula(タブラ)についてですが、
このラテン語のtabula(タブラ)という単語は、
それが英語のtable(テーブル、机)や、tablet(タブレット、銘板、平板)といった単語の語源となっていることからも分かる通り、
この単語自体には、直接的に紙という意味はなく、それは、古代ローマにおいて、木製や金属製の板や石板、または、その上に文字を繰り返し書き入れて使うことができる書字板のことを意味する言葉として用いられていました。
書字板は、通常の場合、スレートとも呼ばれる粘板岩の薄板でつくられていて、そうした特殊な石盤の上に、蝋石を加工して鉛筆状にした石筆をこすりつけることによって文字を記入していたのですが、
紙の場合とは異なり、こうした書字板の上に書かれた文字は、布やスポンジなどで石盤の表面を強くこすることによって書字板の上に付着した蝋石を拭い取ることができ、文字を消して再使用することが可能となっていました。
つまり、
ラテン語におけるtabula(タブラ)すなわち書字板と、そこに文字を書き入れるのに使う石筆とは、言わば、黒板とチョークのような関係にあり、
古代ローマ人たちは、書字板の上に石筆で文字を書き入れてはその文字を拭き消して、再び新た文字を書き入れるというように、
言わば、携帯式の黒板のようなものとして、書字板としてのタブラを使っていたと考えられることになるのです。
「空白の書字板」、「拭われた石板」としてのタブラ・ラサ
そして、
タブラ・ラサ(tabula)という言葉の後半部分であるrasa(ラサあるいはラーサ)という単語についても、
この言葉自体に「白」や「無」といった意味はなく、それは一言でいうと、「消された」あるいは「拭われた」といった意味を表す単語であると考えられることになります。
厳密に言うと、ラテン語のrasa(ラーサ)という単語は、
ラテン語で「こする」「拭い取る」「磨く」「(文字などを)消す」といった意味をもつ動詞であるrado(ラードー)から派生してできた言葉であり、
この動詞rado(ラードー)の目的分詞の形であるrasum(ラースム)が、さらに完了受動分詞となって形容詞化してできたのがラテン語のrasa(ラーサ)という単語ということになります。
つまり、
タブラ・ラサ(tabula rasa)という言葉は、そのラテン語における原義にまでさかのぼると、文字が拭き消された状態にある「空白の書字板」、あるいは、「拭われた石板」といった意味を表わす言葉であると考えられることになるのです。
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以上のように、
哲学史においては、一般に、ロックの白紙説と同じ意味を持つ言葉として捉えられることが多いタブラ・ラサという言葉は、
そのラテン語における原義にまでさかのぼって考えると、タブラ(tabula)は石板や書字板、rasa(ラーサ)は「拭われた」「消された」を意味する言葉であり、
全体としては、「空白の書字板」や「拭われた石板」といった意味を表わす言葉であると考えられることになります。
そして、こうした形で、ラテン語における字義上の意味に即してタブラ・ラサという概念を解釈し直すと、
そこには、イギリス経験論の哲学者であるロックが指し示す単なるまっさなら白紙としての人間の心のあり方とは少し異なった側面をもった人間の心の捉え方が浮き彫りになってくると考えられることになるのです。
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次回記事:タブラ・ラサとは何か?③無と有の中間に位置する空白としての人間の心の本質
前回記事:タブラ・ラサとは何か?①ロックの白紙説とアリストテレス哲学の関係
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