『パイドン』の想起説に基づく魂の不死および不滅性と永遠性の証明、プラトンの想起説⑥
前回書いたように、プラトンの中期対話篇『パイドン』においては、人間の心の内には「美そのもの」や「善そのもの」といったイデアと呼ばれる普遍的な観念が実在していて、
そうしたイデアのすべては、想起という知の働きによって再把握される人間の魂の内に生まれながらに備わった観念であるということが論証されていくことになります。
そして、こうした想起説と結びついたイデアの実在性についての議論は、さらに、人間の魂の不滅性の証明の議論へとつながっていくことによって、
プラトンの『パイドン』における想起説についての一連の議論がついに完結することになるのです。
『パイドン』における人間の魂の不滅性とイデアの実在性をめぐる議論
プラトンの中期対話篇である『パイドン』における想起説の議論では、想起という知のあり方についての定義と、想起説と結びつけられたイデアの実在性の論証についての議論が語られたのち、
最終的に、以下のような形で、イデアと呼ばれる「美」や「善」といった普遍的な観念だけではなく、そうした普遍的な観念を有している人間の心や魂自体についても議論が及んでいくことになります。
「美」や「善」やすべてのそういう実在(すなわちイデア)が、確かに存在するならば、そして、そうした実在がかつてはわれわれ自身のものとして存在していたことを(想起によって)再発見している…とするならば、
これらの実在(すなわちイデア)が存在するように、われわれの魂もまた、われわれが生まれる以前にも存在したのでなければならない。
(プラトン『パイドン』76D~E)
つまり、『パイドン』のこの箇所の記述においては、
「美」や「善」といったイデアが現実の世界におけるあらゆる経験を超えた普遍的な観念として実在し、そうしたイデアの存在が人間の魂における想起と呼ばれる知のあり方によって再把握されるということは、
そうした観念を有する主体としての人間の魂自身もまた現実の世界を超越した永遠性と不滅性を持った存在としてとらえることができるということが語られているということです。
それでは、こうした『パイドン』におけるイデアの実在性から人間の魂の不滅性が導き出されるとする議論は、より具体的にはどのような論理の筋道をたどることによって成立していると考えられることになるのでしょうか?
人間の魂が不死であり、不滅性と永遠性を有する存在であることの証明
まず、前回述べた『パイドン』における想起説の議論に基づくと、人間は、現実の世界における様々な経験の中で、美しいものや善いものに出会ったときに、
自らの魂の内に生まれながらに備わった「美そのもの」や「善そのもの」についての普遍的な観念、すなわち「美」や「善」のイデアを想起することによって、それらの個々の事物を美しい、あるいは善いと感じることができると考えられることになります。
そして、
こうしたイデアについての知を人間が生まれながらに持っているということは、
人間がその知を獲得したのは、その人物が誕生した瞬間か、誕生よりも以前かのいずれかであると考えられることになります。
しかし、
産声を上げて誕生する瞬間、赤ん坊は新しい世界へと生まれ出て、自らの生命を維持しようとするのに必死で、「美」や「善」といった高尚で普遍的な観念をどこかから学んでいるような余裕があるとは到底思えないので、
そうした「美」や「善」といったイデアについての知を人間が得ることができるのは、その人物がこの世界に誕生する以前の時にまで必然的にさかのぼることなると考えられることになります。
そして、
現実の世界に誕生する以前に、イデアについての知を得ることができていたということは、その人物においては、必然的に、肉体を持って現実の世界に誕生する以前から、そうした知を得る主体としての魂が存在していたということを意味することになるので、
そういう意味においては、人間の魂は、自らの肉体の誕生以前から存在していると考えられることになります。
そして、このような考え方に基づくと、
それが現実の世界における肉体を超えた存在であるという意味において、人間の魂は肉体の死後にも存続し続けると考えられることになるので、
こうした意味において、人間の魂は不死であり、不滅性と永遠性を有する存在であると考えられることになるのです。
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以上のように、『パイドン』においては、
想起説に基づいて論証されたイデアの実在性についての議論が、そうしたイデアについての知を有する主体である人間の魂の存在のあり方についての議論へと結びつけられていく形で、
最終的に、人間の魂の不滅性についての論証が行われていくことになります。
つまり、
「美」や「善」といったイデアが、現実の世界におけるあらゆる経験を超える普遍的な観念として実在している以上、
そうした普遍的な観念としてのイデアの知を想起するこができる人間の魂自体もまた現実の世界における経験を超えた存在であり、
人間の魂が現実の世界における経験や、その主体である肉体といったあらゆる物理的存在を超越した存在であるという意味において、それは不死であり、不滅性と永遠性を有する存在であると考えられることになるのです。
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次回記事:プラトンにおける想起説とイデア論と魂の不死の三位一体の関係、プラトンの想起説⑦
前回記事:『パイドン』の想起説におけるイデアの実在性の論証②、生得観念としてのイデアと「美そのもの」の観念、プラトンの想起説⑤
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