『パイドン』の想起説におけるイデアの実在性の論証②、生得観念としてのイデアと「美そのもの」の観念、プラトンの想起説⑤
前回書いたように、プラトンの『パイドン』における想起説の議論においては、「等しさ」という観念が例として取り上げられることによって、
そうした観念の想起がもたらされる連想の系列をたどっていくと、最終的に「等しさそのもの」といった普遍的な観念であるイデアの存在自体へと行き着くこが示されることになります。
そして、こうした議論が、「等しさそのもの」といった論理的な観念でけではなく、「美そのもの」や「善そのもの」といったあらゆる普遍的な観念、すなわち、あらゆるイデアの存在について同様に適用されるということが示されていくことによって、
想起説に基づくイデアの実在性の論証が進んで行くことになるのです。
イデアあるいは生得観念としての「美そのもの」や「善そのもの」の観念
プラトンの『パイドン』における想起説の議論の前回取り上げた部分のすぐ後に続く箇所では、
以前に知っていたことを再び把握するという想起という知のあり方と、「等しさ」や「美そのもの」といった普遍的な観念との関係性について、さらに以下のように語られることになります。
われわれは生まれる以前にも生まれてからすぐにも、「等しさ」…ばかりではなく、このようなものすべてを知っていたことになる。
なぜなら、今語られた議論は、「等しさ」についてばかりではなく、「美そのもの」、「善そのもの」、「正義」、「敬虔」などにも同様に関わるからである。
(プラトン『パイドン』75C)
つまり、
ここでは、「等しさそのもの」や「美そのもの」といった観念については、人間はそうしたイデアと呼びうるような普遍的な観念を、生まれながらにして持っているという
デカルトやライプニッツなどにおける生得観念にもつながる主張がなされていると考えられることになるのですが、
それでは、
ここで語られている「美そのもの」や「善そのもの」、さらには「正義」や「敬虔」といった観念について、
人間が生まれた時から、さらには、生まれる以前においてすら、そうした普遍的な観念をすでに持っているということは、より具体的にはどのようなことを意味していると考えられることになるのでしょうか?
「美そのもの」の観念が生まれながらに備わった観念である理由
例えば、前回引用した『パイドン』の箇所で語られていた「等しさそのもの」の観念についての議論を、「美そのもの」の観念について同様に適用するとした場合、それについては以下のような議論を展開することができると考えられることになります。
「美」という観念について考えるとき、例えば人間は、そびえ立つ荘厳な山々や、深い森の中で深々と根を下ろす一本の大樹、あるいは、どこまでも青く広がる一面の大海原といった壮大な自然の姿を見るとそれを美しいと感じることになります。
それと同様に、
そうした自然の姿が卓越した感性によって描かれた名画を目にするときにも、それを美しいと感じ、同じ「美」という観念において対象を捉えることになります。
そして、
こうした荘厳な山々や一本の大樹、大海原、あるいは、名画といった個々の美しい物事については、人間が現実の世界に生まれてから、様々な経験を積んでいくなかで出会っていくことになるわけですが、
それに対して、
壮大な自然の姿や名画といった個々の物事を美しいと感じている心の働き自体は、誰かに教わったり、経験によって後から得られたものではなく、
人間は生まれながらにして、そうした物事を美しいと感じる心の働きをすでに有していると考えられることになります。
つまり、
個々の美しい物事に出会ったときに、それを美しいと感じさせている「美そのもの」の観念自体は、誰から教わったものでもなければ、経験によって後天的に獲得されたものでもなく、
そうした美のイデアとも呼びうる「美そのもの」の観念は、人間の魂の内に、生まれながらにして備わった普遍的な観念であると考えられるということです。
・・・
以上のように、
プラトンの『パイドン』における想起説の議論においては、「等しさ」だけではなく、「美そのもの」や「善そのもの」といったイデアと呼びうるあらゆる普遍的な観念が人間の心の内には実在していて、
そうしたイデアのすべては、人間の魂の内に生まれながらに備わった観念であるということが論証されていると考えられることになります。
そして、
こうした『パイドン』の想起説におけるイデアの実在性についての議論は、さらに、そうしたイデアについての知を自らの内に有し、それを想起する主体である人間の魂の不滅性の証明の議論へとつながっていくことになるのです。
・・・
次回記事:『パイドン』の想起説に基づく魂の不死および不滅性と永遠性の証明、プラトンの想起説⑥
前回記事:『パイドン』の想起説におけるイデアの実在性の論証①、「等しさ」という観念をめぐる想起の議論、プラトンの想起説④
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