人間から神へと向けられる愛としてのエロスとピエタスの違い
「エロスとアガペーの違いとは?哲学におけるエロスの意味」の記事で書いたように、
アガペーが神から人間へと向けられる見返りを求めない無償の愛の形であるのに対して、
エロスは、崇高なる存在に対して憧れを抱きながら、少しでも神のような完全な存在を目指して上昇していこうとする人間から神へと向けられる上り道の愛、上昇の愛であると捉えられることになります。
そして、
人間の方から神へと向けられる愛の形としては、エロスのほかに、ピエタスと呼ばれる愛の形も挙げられるのですが、
こうしたエロスとピエタスという愛の概念には、それぞれにどのような意味合いの違いがあると考えられることになるのでしょうか?
人間から神へと向けられる愛としてのエロスとピエタスの違い
「古代ローマにおける五つの愛の概念と古代ギリシアにおける四つの愛の概念の関係」の記事で書いたように、
エロス(eros)がギリシア語から生まれた愛の概念であるのに対して、ピエタス(pietas)の方はラテン語から生まれた愛の概念ということになります。
そして、冒頭で書いたように、
ギリシア語における愛の概念であるエロスにおいては、人間から神へと向けられる憧れの眼差しは、そのまま自らがそうした神のごとき崇高なる存在へと少しでも近づいていこうとする積極的な上昇運動へと結びついていくことになるのですが、
それに対して、
ラテン語における愛の概念の一つであるピエタスにおいては、それが日本語で言うと敬虔といった言葉にあたる概念でもあるように、自らが神のごとき崇高な存在へと至ろうとすることは望まない慎み深さを備えた愛の形をしていると考えられることになります。
ピエタスの場合も、その眼差しは、愛の対象である神のような崇高なる存在へと向けられていることに違いはないのですが、
愛の眼差しは上方へと向けられながら、自らがその高みへと上昇していこうとする運動は見られない、ある意味では消極的であるとも言えるような静かな愛の形をしていると考えられることになります。
つまり、
ギリシア語におけるエロスは、神のような崇高な存在へと完全に到達しきることができないとは知りながらも、常にそれを得ようと追い求め続け、自らが崇高なる存在へと合一しようと上昇し続ける能動的で情熱的な愛のあり方を示しているのに対して、
ラテン語におけるピエタスは、自分には到達できない高みにある神という崇高なる存在に対して深い畏敬の念を抱き、そのような自分を超える圧倒的な存在に対して、敬虔で慎み深い気持ちをもってひたすら帰依することによって心の平安を得る静かな愛のあり方を示しているという点において、両者の愛のあり方は互いに大きく異なっていると考えられることになるのです。
ギリシア神話とキリスト教における神と人の世界の距離感の違い
ギリシア語が生み出された古代ギリシア世界と、学問研究などにおいてラテン語が広く使われていたローマ帝国後期から中世までのヨーロッパ世界においては、
それぞれの文化的・宗教的背景として、ギリシア神話とキリスト教的世界観があると考えられることになりますが、
例えば、
ギリシア神話においては、主神ゼウスが人と交わって生まれたヘラクレスやペルセウスなどの多くの半神半人の英雄たちの物語が登場するように、神々の世界と人間たちの世界は互いに行き来することが可能な極めて近い距離感で捉えられることになります。
そして、それに対して、
キリスト教の世界観においては、創造主である神と被造物である人間とは明確に区分され、人の世界と神の世界との間には本質的な意味での存在の差異と断絶がみられることになります。
以上のように、
ギリシア語から生まれた愛の概念であるエロスが、神のような崇高なる存在を目指して上昇を続け、自らもそうした存在の内へと交わり合一していこうとする能動的で情熱的な愛のあり方を意味し、
それに対して、
ラテン語から生まれた愛の概念であるピエタスが、眼差し自体は神が座する上方へと向けられながらも、自らがそうした崇高なる存在へと至ろうとすることは望まずに、敬虔で慎み深い気持ちをもって、超越的な存在である神に帰依することによって心の平安を得る静かな愛のあり方を意味することの背景には、
こうしたギリシア神話とキリスト教における神と人の世界との間の距離感の違いという世界観の差異があるとも考えられるかもしれません。
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次回記事:ピエタが持つ二重の意味とは?聖母マリアと人間マリアの二重性とラテン語のピエタスの双方向的な愛のあり方
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