エロスとアガペーの違いとは?哲学におけるエロスの意味
古代ギリシアにおける四つの愛の概念の違いで書いたように、
ギリシア語で愛のことを意味する代表的な言葉であるエロス(eros)は、ギリシア神話において恋愛を司る神であるエロースに由来する言葉であり、
それは、一般的には、男女の間に生じる愛の感情のことを表す概念として解釈されることになります。
しかし、
こうしたエロスの概念は、哲学的・神学的文脈においては、より崇高で形而上学的な意味(現実の世界を超越した意味)へと高められていくことになり、
それは、特に、アガペー(agape)と呼ばれる神の無限なる無償の愛との対比において際立ってくると考えられることになります。
下り道の愛としてのアガペーと上り道の愛としてのエロス
アガペーとは、全能で完全な存在である神から、有限で不完全な存在である人間へと向けられる愛のことを示す概念ですが、
そうした神から人間へと向けられる愛としてのアガペーは、神が全能な存在である以上、その能力がなし得ることにはいかなる限界も存在しえないので、それは無限なる愛であると考えられることになります。
また、
神が欠けることのない完全な存在である以上、人間を愛することによって神の側が新たに何か有益なものを得ることができるといったこともあり得ないので、
それは、必然的に、いかなる見返りも求めない無償の愛であると考えられることになります。
したがって、
神から人間へと向けられる愛としてのアガペーは、
能力においても、善性においても限りなく上位にある存在である神から、下位にある人間へと下降していく形でもたらされる愛であるという意味において、
それは言わば、下り道の愛、下降の愛であると捉えられることになるのです。
哲学的な文脈におけるエロスの概念
そして、それに対して、
哲学的・神学的文脈におけるエロスの概念は、
そうした有限で不完全な存在である人間から、無限で完全なる存在である神へと向けられる憧れのまなざし、
すなわち、不完全な存在である人間が、自らの努力と修練によって、神のような完全な存在を目指して上昇していこうとする上り道の愛、上昇の愛として捉えられることになります。
プラトン哲学において、こうしたエロスの概念は、人間の魂が普遍的真理である真善美のイデアへの憧れを抱き、
そうした真善美についての知を求め続けて限りなく上昇していこうとする知性の向上と魂の純化への道としてとらえられことになりますが、
まさに、神やイデア界(プラトン哲学において、現実の世界の背後にあり、すべての事物の原型となる真なる実在の世界、叡智界や天上界とも呼ばれる)といった完全な存在、完全なる知のあり方へと自らの精神を限りなく上昇させていこうとする魂のあり方にこそ哲学におけるエロスの概念の本質があると考えられることになるのです。
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以上のように、
神から人間へともたらされるアガペーという愛のあり方は、
全能で完全な存在である神から有限で不完全な存在である人間へと向けられる無限で無償なる愛としての下り道の愛であると捉えられることになります。
そして、それに対して、
哲学的・形而上学的な文脈におけるエロスの概念は、
神やイデア界といった完全な存在、完全な知のあり方へと向けて自らの精神を限りなく上昇させていこうと努力し続ける人間の魂のあり方のことを示す概念であり、
それは、すなわち、人間から神へと向けられる上り道の愛のあり方であると考えられることになるのです。
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そして、以上のような形で哲学におけるエロスの概念を定義すると、
次に、それでは通常の意味における男女間の恋愛としてのエロスは、上記のような哲学的な文脈におけるエロスの概念とはまったく無関係な愛のあり方なのか?という問題が浮かび上がってくることになります。
両者の愛の概念に対して、エロスという同じ言葉が用いられている以上、両者の愛の形には、ある程度共通する性質を見いだすことができると考えられることになるのですが、こうした問題については、また次回詳しく考えていきたいと思います。
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次回記事:恋愛としてのエロスと哲学におけるエロスとの関係、双方向的な上下関係と偶像に対する崇拝の念
関連記事:古代ギリシアにおける四つの愛の概念の違い、エロスとフィリアとアガペーとストルゲー
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