恋愛としてのエロスと哲学におけるエロスとの関係、双方向的な上下関係と偶像に対する崇拝の念
前回書いたように、
哲学的・形而上学的な文脈におけるエロス(eros)とは、
神やイデアの世界といった自分よりも上位の存在に対して憧れを抱き、そこに少しでも近づこうと自らの精神を限りなく上昇させていこうとする魂のあり方のことを示す概念であると考えられます。
そして、
そうした上位の存在への憧れを抱き、そこに合一していこうとする愛のあり方は、一般的な意味における恋愛としてのエロスのあり方にも共通する愛の性質であるとも考えられることになるのです。
対等な恋愛関係における双方向的な上下関係としてのエロス
恋愛としてのエロスの定義においては、男女は相手の何らかの魅力に引きつけられることによって互いに愛し合い、
その恋愛がより健全な形で進行していくものであるとするならば、二人は互いに相手を尊重し合い、相手から学び合うことを通じて、彼または彼女が一人だけでいた場合よりも自らの精神を深化させ向上させていくことになると考えられることになります。
そして、
そうした互いに対等な関係として育まれる理想的な恋愛関係においては、
彼は彼女の内に、そして、彼女は彼の内に自らには欠けているある優れた点、美しい点を見いだすことによって、その魅力に引きつけられることによって、互いに相手を求めて愛し合うことになると考えられることになりますが、
こうした互いに相手の内に自らに欠けている部分を見いだし、そこに強い憧れを抱くことによって互いに強く引かれ合うという愛のあり方こそが、
自らの上位に位置する存在への憧れを抱き、そこに合一していこうとする愛のあり方である哲学におけるエロスの概念に通底する愛のあり方であると考えられることになるのです。
ただし、
男女の間の対等な恋愛関係においては、二人が互いに対して抱く憧れの感情は、互いが互いに対して抱く双方向的な恋愛感情ということになるので、
一方が他方に対して自らの内には欠けている美点や魅力を見いだしてそこに強い憧れの感情を抱き、その意味において相手を自らが理想とする自分より上位の存在として仰ぎ見ることがあったとしても、
それは自分が相手に対して抱いているのと同様に、相手も自分に対して同様の感情を抱いているという双方向的な憧れの感情であると考えられることになります。
つまり、
こうした通常の恋愛関係においては、
神と人間の間の関係のように、一方が他方に対して絶対的な存在として君臨する一方的な上下関係が存在するわけではなく、
それは、互いが相手をある面では自らの上位に位置づけることによって尊重し合い、自らに欠けている点を補って互いに精神的に成長し合うという双方向的な上下関係として成立していると考えられることになるのです。
恋愛における一方的な上下関係と偶像に対する崇拝の念
しかし、それに対して、
恋人が互いを求めて愛し合う恋愛としてのエロスにおいても、愛する相手に対して抱く憧れの感情が一方的に強くなり、
その思いが通常の対等な愛の関係を超えて、崇拝に近い思いにまで至ってしまうような場合には、当人にとって、恋する相手は、自らの心の拠り所となる絶対的な存在へとさらに高められていくことになります。
そして、
当人自身の心の内では、恋愛の対象となる相手の存在は、まさに神にも近い存在へと限りなく高められていくことになるので、
このようなケースでは、恋愛としてのエロスにおいても、神と人間の間の関係に見られるような一方的な上下関係が疑似的に生じてくるとも考えられることになります。
そして、さらに言うならば、
こうした自らの恋愛対象を自らの上位に位置する絶対的な存在とみなし、彼または彼女に対して崇拝に近い念をも抱くエロスのあり方は、
一対一の通常の恋愛関係だけではなく、特に、一対多の恋愛関係においてより顕著に見いだされることになります。
例えば、
アイドルとファンとの間に生じる疑似的な恋愛関係においては、
熱狂的なファンたちは、現実の人間ではあるもののある種のカリスマ性を持ったアイドルに対して自らの理想の美のあり方を投影し、彼ないし彼女の内に自らが見たいと望む美の姿を見いだすことになると考えられることになります。
しかし、その一方で、
アイドル(idol)という単語の本来の意味である偶像という言葉が示す通り、
人々の愛と崇拝の念が向けられている当のアイドル自身は、実際には神でもなければ、無限の能力と寛容さを持った存在でもなんでもなく、一人の生身の人間に過ぎないので、
ひとたび、一部の熱狂的なファンが抱く一方的な愛と崇拝の感情に十分に応えることができなくなり、彼ないし彼女が恋愛対象に対して投影してきた自らの心の内の虚像が打ち壊されることになれば、
その反動として、崇拝の対象であったはずの偶像は、憎悪や破壊の対象にもなりかねないというように、それは危うさを含んだ関係でもあるとも考えられることになるのです。
・・・
以上のように、
哲学におけるエロスとしての、上位の存在への憧れを抱き、そこに合一していこうとする愛のあり方は、
恋愛としてのエロスにおいても、恋する相手に対して抱く憧れの感情や尊敬の念の内に見いだすことができると考えられることになります。
そして、それは、
男女の間の対等な恋愛関係においては、
互いに相手をある面では自らの上位に位置づけることによって尊重し合い、自らに欠けている点を補って互いに精神的に成長し合うという双方向的な上下関係として機能していると考えられることになるのですが、
愛する相手に対して抱く憧れの感情が一方的に強くなり、その思いが通常の対等な愛の関係を超えて、崇拝の念にまで至ってしまうような場合や、アイドルとファンの間に生じるような一対多の疑似的な恋愛関係においては、
恋愛の対象となる相手の存在は神にも近い存在へと限りなく高められていき、それを偶像として崇拝するかのような一方的で不安定な心理的依存関係がもたらされることになるとも考えられることになるのです。
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前回記事:エロスとアガペーの違いとは?哲学におけるエロスの意味
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