精神的快楽の適用範囲の無制限の拡大と図書館の本とネット空間、快楽計算とは何か?⑭

前回書いたように、

一つの効用や快楽をより多くの人々に共有されるようにするための快楽の適用範囲の拡大においては、

それが身体的快楽の適用範囲の拡大である場合、一つの快楽がより多くの人々へと広く分配されていくのにしたがって、全体的な快楽の総量は増大していくと考えられることになるのですが、

その反面、個人個人が受け取る快楽の量自体は徐々に減っていくと考えられることになります。

それに対して、

精神的快楽の適用範囲の拡大の場合では、そうした多くの人々による快楽の共有において、身体的快楽の場合のような個人が享受する快楽の逓減は生じないと考えられることになります。

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図書館の本を通じた知的効用と精神的快楽の共有

例えば、

図書館に置いてある本のケースでは、自分がその本を読んでその内容に感銘を受けたり、そこに書いてある情報を実生活に役立てたりするといった形である種の精神的快楽や知的効用を得ることができたとする場合、

自分がその本を読見終えて書棚に返した後に、新たに別の誰かが同じ本を手に取って読んで、そこから同じような精神的効用を得ることになったとしても、

そのことによって自分が本を読んだときの精神的効用が損なわれるといったことは一切ないと考えられることになります。

そして、これは、図書館の本の場合だけに限ったわけではなく、自分が買った本の場合でも基本的には同様であり、

自分が買って家に置いている本を家族や友人が読んだり、あるいは一時的にその本を知人に貸し出たりするようなことがあったとしても、

その本が他の人に読まれているか、貸している間は自分は読み直すことはできないという最小限の物理的な制約を除いては、

その本から自分が得られる知的効用や精神的快楽がそれを他者と共有することによって減ってしまうことは基本的にはないと考えられることになります。

つまり、

物質的快楽の共有においては、その源となる資源や物品などの分配によって進められることで、個人の得られる効用の大きさは徐々に減って行ってしまうのに対して、

精神的快楽の共有の場合では、そうした快楽の適用範囲の拡大は、限られた資源や物品の分配ではなく、精神的快楽の源となる知識や情報の共有という分配や分割が不必要な形で広がっていくことになると考えられることになるのです。

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ネット空間を通じた精神的快楽の適用範囲の無制限な拡大

ただし、厳密に言うと、

本などの置かれる場所による制約を受ける耐久性の低い媒体を情報の伝達手段として用いるケースでは、その本を貸した相手が不注意で責任感に乏しいような人物である場合、

その人がいつまで経っても貸した本を返してくれなかったり、ひどい場合には、

借りた本であるにも関わらず、間違えて捨ててしまったり、行方不明にされたりしてしまう可能性もあるので、

そのような場合には、必ずしも自分の本を貸してもそれがきちんと返ってくる保証がなく、本を通じた知的効用の他者との共有を図ることによって、自分自身はその本を二度と読めなくなってしまうという自らの効用への損失が生じてしまう可能性も否定しきれないとは考えられることになります。

したがって、上記のような点を考慮するならば、

精神的効用の伝達手段としては、個人によって破壊したり廃棄したりすることがより困難な媒体である、電子書籍やネット記事の情報が位置するようなネット空間のことを想定すればより話が分かりやすくなると考えられることになります。

電子情報の場合は、それがいったんネット空間にアップロード(データ送信)されてしまえば、それは多くのサーバーなどを経由して数多くの情報の複製が作られていくことになるので、

個人の意図や不注意によって、いったんネット空間にアップされた情報を削除してしまうことは極めて困難であると考えられることになります。

また、ネット空間にある情報の場合は、よほど一時にアクセスが集中し過ぎることがない限りは、基本的には、複数の人でいくらでも同時に閲覧することが可能なので、

そうしたネット空間を通じた情報の共有においては、精神的快楽や知的効用適用範囲を無制限に拡大していっても、個人が享受する快楽の量が減ることは一切ないと考えられることになるのです。

・・・

以上のように、

精神的快楽や知的効用については、その源となる知識や情報自体は、身体的快楽の源となる資源や物品とは異なり、他者との共有によって分割されたり、自分の取り分が減ってしまったりするようなことがないので、

それは、資源や物品の所有といった物理的な制約を超えて、個人個人が得られる快楽の量を減らすことなしに、適用範囲が無制限に拡大された限りなく多くの人々によって同時に共有することが可能な種類の快楽であると考えられることになります。

そして、

このような身体的快楽精神的快楽といった快楽の種類ごとの快楽計算のあり方の違いについては、

今回取り上げた快楽の適用範囲の拡大における事例でだけではなく、快楽の持続性多産性純粋性の議論の時にも問題となりましたが、

こうした議論に基づくと、詳しくは次回考察するように、身体的快楽精神的快楽については、それらを一緒くたにして一様の基準で比較すること自体が難しく

両者の快楽計算における基準自体が互いに大きく異なっているとも捉えられることになるのです。

・・・

次回記事快楽計算の七つの要素の具体的な性質のまとめ、至上の快楽とは何か?快楽計算とは何か?⑮

前回記事:身体的快楽の適用範囲の拡大における効用の分配と個々の快楽の逓減の原理、快楽計算とは何か?⑬

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