マケイン上院議員の葬儀におけるオバマ前大統領の追悼演説の全文和訳のまとめ
前回までの一連の記事では、2018年9月1日にワシントン大聖堂で行われたジョン・マケイン上院議員の葬儀においてオバマ前大統領が行った追悼演説について、
英語の原文とそれに対応する和訳を一段落ずつ対訳形式で並べていく形で一通り訳していきました。
そこで、シリーズの最後となる今回の記事では、そうした追悼演説全体の和訳を改めてまとめて書き記しておきたいと思います。
なお、このシリーズの初回の記事でも書いたように、和訳していく際のもとにした追悼演説の英語原文のスクリプトについては、アメリカのNBCニュースのサイト
<https://www.nbcnews.com/politics/barack-obama/read-full-text-barack-obama-s-speech-john-mccain-s-n905721>に掲載されていたものを用い、
演説文の内容がより分かりやすくなるように、筆者が訳していく際に印象に残った演説文の箇所については太字で表記する形で示しています。
また、この記事の最後の部分においては、本文中の演説文の和訳のそれぞれの部分に対応する英語の原文とそれに直接対応する日本語の訳文、筆者が和訳していく際に留意した英文法上の表現や英単語の意味についての注釈が記されている各記事を目次のように列挙していく形で付記しておきました。
オバマ前大統領のマケイン上院議員の葬儀における追悼演説の全文和訳
ジョンの最愛の家族、彼の妻であるシンディーと彼の子供たち、ブッシュ大統領夫妻、クリントン大統領とクリントン国務長官夫妻、チェイニー副大統領夫妻、ゴア副大統領、そして、ジョンが我が友と呼ぶであろうすべての人々へ。
私たちはここに一人の傑出した人物のことを祝福するために集いました。一人の戦士、一人の政治家、アメリカの最も善き姿を体現する愛国者のことを祝福するために。
ブッシュ大統領と私は、政界の頂点となる場所でジョンと競い合うことができるという幸運に恵まれた数少ない人々のうちの一人です。
彼は我々がより良い大統領となるように導いてくれました。彼がより良い上院議会をつくり上げ、この国がより良い国となるように導いていてくれたのと同じように。
ですから、もしもジョンのような人物から、彼がこの世を去った時に、この場に立って彼について語ることを、彼がまだ生きている時に頼まれたとしたならば、それは、とても貴重で並外れて光栄なことなのです。
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さて、今年はやくに、ジョンからそうした要件について電話があった時、私は悲しみを感じましたし、少し驚きもしたことを認めなければなりません。
しかし、私たちが会話を終えた時、私はふと、こうした一連の出来事がジョンという人間の本質を非常に良く解き明かしてくれているということに気づいたのです。
まずはじめに、ジョンは人が予測できないことを成し遂げることを好みました。少しつむじ曲がりなところがあったと言ってもいいかもしれません。
彼は、上院議会とはどうあるべきかという前もって定められた既成の枠組みに従うことには何の興味もありませんでした。前もって定められた慣習に則って行われるだけのありきたりの追悼のあり方も望んでいなかったのと同じように。
そして、このことは、自己憐憫に浸ることを潔しとしないジョンのもう一つの本質をよく表してもいます。
彼は、一度地獄へと送り込まれ、そこから再び生還しましたが、そのような中にあっても彼は決して自分自身の力と、楽観的な物の見方と、生きる意欲とを失うことはありませんでした。
ですから、ガンでさえも彼を震え上がらせることはできませんでしたし、彼は最後の最後の時に至るまで快活な精神を保ち続けることができたのです。
彼はじっと黙っているには頑固過ぎましたし、いつもと同じように自分の意見を頑なに守り続け、熱心に彼の友人たち、とりわけ彼自身の家族に対して心を傾け続けました。
こうしたことは、彼の不遜さと、少しばかりいたずら好きなところもあるユーモアの精神をよく表してもいます。
結局のところ、最後に笑うためには、国中の人々の前で、ジョージと私に自分について何か良いこと言ってもらうことが一番なのですから。
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そして、こうしたことは、何よりも彼の精神の偉大さを示してもいるでしょう。過去の違いを乗り越えて、互いの内に共通する土台を見つけ出していくことができる精神の力の偉大さを。
確かに、目に見える多くの部分において、ジョンと私の間にはこれ以上ないほどに大きな違いがありました。
私たちの世代は遠く離れていて、私の家は母子家庭で自分の父親の顔すらろくに知らずに育ったのに対して、ジョンはアメリカでもっとも名高い軍人一族の出自でした。
私は常に冷静でいることで有名ですが、ジョンはそれほどではありません。
私たちは互いに異なるアメリカの政治的伝統を代表する先導者であり続け、私が大統領の職にある間中、ジョンは私が何か間違いをしでかしたと思ったときには、そのことをすぐに私に指摘することを一切ためらいませんでした。彼の計算ではそうしたことは、だいたい一日に一回は必ずあったということです。
そして、これはジョンもよく分かってくれていたことだとは思いますが、こうしたすべての違いがあったにもかかわらず、互いの間の議論に費やしてきたすべての時間を通じて、私は彼に対して長年にわたって抱き続けてきた敬意を隠そうとしたことはありませんでした。
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彼自身の説明によれば、ジョンは反抗的な若者でした。彼の場合それはよく理解できることです。なぜならば、もっと大それた反乱でも起こさない限り、それが海軍大将の息子や孫として生まれた人物にとって手っ取り早く名を上げるのに一番いい方法だったからです。
しかし、最終的に彼はこう結論づけることになります。本当の意味において世界に自らの足跡を残そうとするならば、そのための唯一の道は、自分自身のことよりもさらに偉大な物事に関わっていくことであると。
そして、ジョンにとっては、それは戦時において国のために奉仕するという最も重要な役割を担う召集に応えることを意味していたのです。
人々は、今週、そして今朝になっても、ハノイの独房に囚われていた時の彼の苦悩の深さ、そして、彼の勇気の深さについて語っています。
その時その場所で、一日一日、一年一年と積み重ねられていった時間が、彼の若々しい鉄の魂を、鋼へと鍛え上げていくことになったのです。
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このことは、メーガンも引き合いに出していた彼のお気に入りの本であるヘミングウェイの本の中に出てくる以下のような一節を思い起こさせます。
「今日という日はこれからも続いていくすべての日々のうちのたった一日であるに過ぎない。しかし、これから訪れる残りのすべての日々のなかで何が起こるかは、あなたが今日何を成すかによって決めることができるのだ。」
捕虜として囚われていた間、ジョンは、私たちのうちの一部の人にとっては以下のような言葉を通じてしか知ることができないことを学びました。
一つ一つの瞬間、一つ一つの日々、一つ一つの選択こそが試練であるということを。そして、ジョン・マケインは、その試練を乗り越え続けたのです。何度も何度も何度も。
そして、こうしたことこそが、ジョンが奉仕や義務といった美徳について語る時、その言葉が虚ろに響くことがない理由なのです。
彼にとってそれはだだの言葉ではなく、彼にとっては死を受け入れる覚悟ができていたがゆえに、生き抜くことができたということが真実なのですから。
そのことが、一番の皮肉屋にさえ、私たちがこの国のために何をしてきたのかということについて深く考えさせることになるのです。
私たちはそのために自分のすべてを投げ出すことができただろうか?
それが今週、多くの人々が政界の一匹狼だったジョンがどのような人物であったのかということについて語っていることなのです。
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さて、確かに、ジョンは非常に保守的な男でした。それは間違いありません。なぜなら、私は実際にそうした彼の主張の一部を直接受け止める側にいたのですから。
しかし、それと同時に彼は、いくつかの原則は政治を超越して働くものであり、いくつかの価値は党派を超えて共有されるべきものであるということをよく理解してもいました。
彼は、それらの原則を遵守し、それらの価値を擁護することが、自分が果たすべき責務の一部であると考えていたのです。
ジョンは、自治の制度、我々の憲法、我々の権利章典、法の支配、権力分立、そして上院議会の難解な規則や手続きについてさえ深く配慮してきました。
私たちの国がそうであるように、巨大で、活気があり、多様な人々が集う一つの国家においては、我々のこうした制度、こうした規則、こうした規範が人々を一つに束ね上げていて、
それらの原則と価値が私たちの日々の生活にまとまった形と秩序とをもたらすものであるということを彼は知っていたのです。
我々が互いの意見を異にする時でさえ、むしろ互いに反目し合っている時にこそ、ジョンは、真摯な議論を重ね、自分とは異なる考えを持つ人々の意見に耳を傾けることの正しさを信じていました。
彼は、もしも私たちが政治的な都合や党の主流となる意見に合わせて事実をねじ曲げていくことが当たり前になっていくとするならば、我々の社会はいずれ機能停止に陥るということをよく理解していたのです。
だからこそ彼は、時には、自ら進んで彼自身が属する党の考えに背いてさえ、そうした枠組みを飛び越えて財政改革や移民制度改革の運動に取り込んできたのであり、
だからこそ彼は、私たちの民主的な議論に欠かせないものとして自由で独立した報道機関の存在を擁護し続けてきたのです。
そして、そのことが彼についての良い報道をもたらしたからといって、その事実によって、こうしたことに関する彼の信念の純粋さが損なわれるものではありません。
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かつてのジョン・F・ケネディが、または、ロナルド・レーガンがそうであったように、ジョンもまた理解していたのです。
私たちの国を偉大なものにしている連帯の力は、我々の血統や、我々の外見の姿、我々の名字の綴り方に基づくものでもなければ、
私たちの両親や祖父母がどこで生まれたのか?彼らはいったいどれくらい前にこの国にやって来たのか?といったことに基づくものでもなく、
それは、我々はみな平等な者として造られた存在であることを信じるという共通の信念によって支えられているということを。
そして、その信念は、誰にも奪うことのできない確かな権利として私たちが私たちの創造主から与えられているものなのです。
これは今日においてもしばしば語られていることですし、今週もちょうどその場面が撮られた映像を目にしましたが、
2008年の大統領選挙の際に、私の愛国心について疑いの目を向けて悪しざまに非難する支持者たちのことをジョンが怒って追い返してしまったことがありました。
その時、私は彼に対して深い謝意は感じたものの、特に驚きはしませんでした。ジョー・リーバーマンが言ったように、それこそがジョンの生来の気質だったのです。
私はいまだかつて、ジョンが誰かに対して人種や宗教、あるいは性別の違いに応じて異なる形で接する態度をとった姿を目にしたことがありません。
そして、こう確信してもいるのです。先ほど述べた大統領選挙の期間の最中、彼はアメリカの高潔なる精神の擁護者としての自分自身の姿を自らの心の内に見いだしていたのだと。
私についてのことだけではなく、すべての人々に対して公正であることが、この国を愛するすべての国民にとって不可欠な至上の原理であると彼は考えていたのです。
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そして最後に、ジョンと私が外交政策上のあらゆる問題について互いの意見を異にして言い争っていた時にも、私たちはアメリカという国が世界にとって欠くことができない国として独自の役割を持つという点においては常に同じ立場に立ち続けていました。
偉大なる力と偉大なる恵みには、偉大なる責任が伴うことを信じるという点において。
そして、その偉大なる責務は、この国の男女が自らの身を軍服に包んだ時に最も重くのしかかることになります。
一族の人々が代々我々の軍隊をその傍らで常に支え続けてきたのと同じように、彼ら自身もその父の後を継いで軍務に就いてるダグやジミーやジャックのように。
しかし、ジョンは、我々が享受している安寧とこの国の影響力の強さが、我々が持つ軍事力と富の力によってのみ勝ち取られたものではないということもよく理解していました。
それは、他の人々を我々の意志のままに屈服させる力によってのみもたらされたものではなく、法の支配、人権、そして、神によってすべての人間に平等に与えられ尊厳といった一連の普遍的価値に対する我々の強い信念によって他の人々を感化して奮い立たせていく力がその源にはあるということを。
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もちろん、ジョンの姿からは、彼が決して完璧な人間などではないということを真っ先に物語ることもできます。
公職に就こうとする他のすべての人々と同じように、彼にもまた個人的な欲求はありましたし、他のすべての人々と同じように、彼が投じたいくつかの票は間違いなく妥協の産物であり、彼が下したいくつかの決断のなかには、彼自身もし自分がその時に戻ることができるとしたならば覆したいと思うようなものもありました。
これは決して秘密などではなく、昔からよく言われていたことですが、彼はとても短気な人でもありました。
彼がいったん怒りはじめると、自然の摂理に従って、不思議なことにみるみるうちにあご先が歯ぎしりでわなわなと震え出すと、その顔は赤々と燃え上がり、彼の視線が真っ直ぐにあなたを穿つことになるのです。
これについては残念ながら私自身は直接体験したことはないのですが、ジョンのことを深く知るようになると、彼は怒り出すのが早いのと同様に、怒っていた相手のことを許し、相手に対して許しを求めるのも早いということが分かってくるようになります。
自分自身の欠点と弱点については彼自身が一番よく分かっていて、彼はそれについて自ら笑って認めるすべをよく心得ていたのです。
そして、そうした自己認識の積み重ねが彼のことをより一層魅力的な人物へとつくり上げていくことになったのです。
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これは今まであまり公にはしてこなかったことではありますが、私が大統領の職にあった時、ジョンは時折ホワイトハウスにやって来くることがあり、そのような時には私たちは二人だけで執務室にこもりきり、ただそこに腰かけて互いに語り合ったものです。
私たちは互いの政策について語り、互いの家族について語り、そして、我が国の政治情勢についても語り合ってきました。
私たちの間の意見の不一致は、こうした個人的な会話の中ではいつまでも尽きることがなく、互いの意見の間には厳然とした深い隔たりがありました。
しかし、私たちは光の当たる表舞台から遠く離れて分かち合ったそうした時を、互いに笑い合い、互いから学び合いながら、楽しんで過ごしましたし、
私たちは、互いに相手の誠実さを、相手の愛国心を、そして、私たちが根本的には同じ陣営に属しているということを疑ったことはありませんでした。
私たちは互いに自分たちが同じチームにいるということを決して疑ったことはなかったのです。
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こうしたすべての違いがあったにもかかわらず、私たちは、これまでの何世代にも渡ってアメリカ人が、そのために行進し、闘い、犠牲を捧げ、命を差し出してきた理想に対する忠誠心を分かち合ってきました。
私たちは二人の間で繰り広げられる政治的な論争は、互いに与えられた特別な名誉であると考えていました。
私たちはそれを、この国においてそうした理想のために働く執事として仕え、その理想を世界中へと向けて推し広げていくために最善を尽くす絶好の機会であると考えていたのです。
私たちはこの国は、そうした理想のすべてを実現していくことが可能な場所だと考えてきました。
そして、この国の市民権を持つ者にとって、この国のそうした可能性がそのまま永久に引き継がれ続けていくことを確かなものとすることが自らに課せられた義務であると考えてきたのです。
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ジョンはその生涯において、度々、テディ―・ルーズベルトのことを引き合いに出して語ることがありました。
この会場において読み上げられてきた式辞のなかでも、ジョンのことを語るのにふさわしい話として、彼がいかにルーズベルトを尊敬していたかについて語る言葉をきっと耳にしてきたことでしょう。
多くの方々が知っているように、ルーズベルトは努力の人であり、彼は常に勇気をもって偉大なことを成し遂げようと試みてきました。
彼はそれらの挑戦において時には勝利し、時には力及ばず不十分なまま終わることもありましたが、それでも常に優れた闘いを挑み続けてきました。勝利も敗北も知ることのない冷淡で臆病な人々とは対照的に。
こうしたことこそが、今週、私たちが祝福しようとしている精神の真の姿なのではないでしょうか?
より善く生きるために努力し続けるということ、より善い行いに取り組んでいくということ、そして、我々の祖先が授けてくれた偉大な遺産に値する人間となるように心がけていくということが。
我々の政治、公的な生活、公共の場で語られる演説といったものは、その多くがあまりにも小さく、貧相で、取るに足らないものに映ることになります。
不正な取引に、大げさな言葉、相手に対する侮辱と偽りの論争、ねつ造された憤り。
政治とは、勇敢で力強い外見を装いながら、実際には恐怖から生まれてくるものなのです。
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ジョンは私たちに、そうしたことよりもより偉大であることを求めます。つまり、彼は私たちにそれよりもより善くあることを求めているのです。
今日という日はこれからも続いていくすべての日々のうちのたった一日であるに過ぎない。しかし、これから訪れる残りのすべての日々のなかで何が起こるかは、あなたが今日何を成すかによって決めることができるという言葉の通りに。
この国に仕えたジョン・マケインの人生を誇りに思い、彼の栄誉を称えるために私たちが実行することができる一番の方法は、彼が示した手本に従ってみるということです。
活動の舞台へと打って出て、この国のために闘うことは、限られた人だけに与えられた特権ではなく、私たち全員にその機会が開かれているということを身をもって証明していくということがそのための一番よい方法であり、
実際、そうすることこそが、この偉大な共和国に生きる私たちすべての国民に求められていることなのです。
そして、もしかすると、それこそが彼の栄誉を称えるのに最もふさわしい方法なのかもしれません。
この世界には、派閥や野心、金銭や名誉や力といったものよりも偉大な何かが存在するということを理解することが。
そして、そこには、自らの存在のすべてを賭けるのに値する何かが存在するということを理解することが。
永遠なる原理、不変なる真理。
ジョンは彼が見せることができる最高の姿をもって、そうしたことの意味を私たちに示してくれたのであり、だからこそ、私たちはみな彼に対して深い恩義と尊敬の念を抱くことになるのです。
神の祝福がジョン・マケインの上にあり、その祝福が彼が善く仕えてきたこの国の上にもまたありますように。
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<上記のマケイン上院議員の葬儀におけるオバマ前大統領の追悼演説の対訳形式での全文和訳の目次>
⑤私たちは自分たちが同じチームにいることを決して疑ったことはなかった
⑥より偉大であることはより善くあること、永遠なる原理と不変なる真理
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次回記事:ユングの分析心理学とは何か?フロイトとユングの決別による新たな心理学の分野の確立、深層心理学とは何か?⑥
前回記事:オバマ前大統領のマケイン上院議員の葬儀における追悼演説の対訳形式での全文和訳⑥より偉大であることはより善くあること、永遠なる原理と不変なる真理
このシリーズの初回記事:オバマ前大統領のマケイン上院議員の葬儀における追悼演説の対訳形式での全文和訳①最後に笑うアメリカの最も善き姿を体現する愛国者
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