神の定義とは何か?②ニーチェの「神は死んだ」に見る逆説的な意味における神の不死性
「あらゆる宗教に共通する神の普遍的な性質とは何か?」の記事でも書いたように、
キリスト教やギリシア神話、さらには、ゾロアスター教や神道といったあらゆる宗教に共通する「神」と呼ばれる存在の普遍的な性質としては、
まず第一に、「不死なる存在」としての神の定義が挙げられることになると考えられることになります。
また、このシリーズの前回の記事で書いたように、
「神」という漢字の成り立ちについて詳しくひも解いていくと、それはもともとは、「形」である肉体の死後も存在し続ける「不死なる存在」としての死者の魂のことを意味する言葉であったと考えられるように、
東洋思想においても、「神」という概念は、「不死」という概念と本質的に極めて近しい関係にある概念であると考えられることになるのですが、
今回は、また少し別の観点から、こうした神の不死性をめぐる議論について考えてみきたいと思います。
ニーチェの「神は死んだ」に見る逆説的な意味における神の不死性
「神」という概念と「死」という概念が結びつけられて語られている言葉というと、有名なものとしてはまず第一に、
19世紀のドイツの哲学者であるフリードリヒ・ニーチェの「神は死んだ」という言葉が挙げられると考えられることになります。
ニーチェの著作の中で、実際に「神は死んだ」(Gott ist todt.)という言葉が出てくる作品としては、1882年に発表された『悦ばしき知識』や、1885年発表の『ツァラトゥストラはかく語りき』といった著作が挙げられることになりますが、
そのなかでもニーチェの主著の一つである『ツァラトゥストラはかく語りき』においては、「神は死んだ」という言葉は、以下のような主人公ツァラトゥストラの独白の形で語られることになります。
「ツァラトゥストラはひとりになったとき、自分の心に向かってこう言った。『いやはや、とんでもないことだ!この老いた聖者は、森の中にいてまだ何も聞いていないのだ。神が死んだということを。』」
(ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』第一部)
そして、こうしたニーチェの著作における「神は死んだ」という言葉自体は、通常の場合、
キリスト教的な神の存在とその信仰に基づくヨーロッパの伝統的な価値観に対して、その死と終焉を高らかに宣言するために用いられた表現として解釈されることになるのですが、
ニーチェが「神は死んだ」と語ることによって、そうしたキリスト教的な神の存在自体を否定することができると考えていたということは、
逆に言えば、ニーチェ自身も、そうした宣言を行うための前提として、そもそも死んでしまうような存在は神とは言えないという考え自体は認めていたと考えられることになります。
つまり、そういう意味では、
ニーチェの「神は死んだ」という言葉の内にも、その前提として「死んでしまうような存在は神ではない」という不死なる存在としての神の定義自体は認める考え方が暗に含まれているとも解釈することができるという点において、
少し逆説的な言い方にはなりますが、
こうしたニーチェの「神は死んだ」という言葉自体の内にも、定義としての神の不死性が示されていると考えられることになるのです。
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以上のように、
あらゆる宗教に共通する「不死なる存在」としての神の定義については、
無神論者にして、キリスト教的な神の存在と価値観の徹底的な批判者であるニーチェの「神は死んだ」という言葉からも、そうした不死性としての神の定義を示す議論を展開することができると考えられることになります。
それでは再び、こうした神の定義についての議論に戻って、
上記のニーチェの「神は死んだ」という言葉によって強く批判されているキリスト教における伝統的な神の概念とは、具体的にはどのようなものであったと考えられるのか?ということについてですが、
それについては、旧約聖書や新約聖書において神の定義についての言及がなされている記述を一つ一つ取り上げてい行く形で、また次回改めて詳しく考えていきたいと思います。
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次回記事:旧約聖書において神の存在の具体的なあり方が記されている20箇所の記述
前回記事:神の定義とは何か?①漢字における「鬼神」すなわち死者の魂としての神の概念