神の定義とは何か?①漢字における「鬼神」すなわち死者の魂としての神の概念
「神」という概念は、「魂」や「自我」あるいは「存在」といった概念と同じように、その言葉が用いられる文脈に応じて極めて多義的な意味の広がりを持つ概念であり、
神という言葉は、その言葉を用いるそれぞれの人の解釈や、それぞれの宗教における神の定義のあり方に応じて、様々な異なったイメージを持った意味として解釈されていると考えられることになります。
今回は、そうした「神」という概念が持つ宗教的あるいは哲学的な意味について詳しく考察していく前に、
まずは、日本語、あるいは、漢字自体における「神」という言葉の字義的な意味について少し掘り下げて考えてみたいと思います。
天空と雷を司る神の姿を表す「神」という漢字自体の形の成り立ち
「神」という字は、その漢字自体の形の成り立ちについてひも解いていくと、
「神」という漢字の右側の「申」部分は、天空から地上へと落ちる稲光の光の軌跡の形を表していて、
それに対して、左側の示偏(しめすへん)の部分は、生贄を捧げる祭壇の形を表していると解釈されることになります。
つまり、
「神」という漢字の形は、もともとは、雷や天候を超常的な力によって操り、人々によって祭壇が築かれて祀り上げられている雷神や天の神の姿のようなものを表していると考えられることになり、
そういう意味では、漢字自体の形の成り立ちとしては、「神」という字の形は、言わば、オリンポス十二神の主神にして天空と雷を司る神であるギリシア神話におけるゼウスのようなイメージとして捉えることができると考えられることになるのです。
『論語』における「鬼神」すなわち「死者の魂」としての神の概念
それに対して、四書五経といった古代中国の思想書などにおいては、こうした「神」という漢字は、上記のような漢字自体の成り立ちの意味とはかなり違った意味として用いられていて、
例えば、
『論語』の「述而(じゅつじ)第七」の篇の第20節では、
「子不語怪力乱神」、すなわち、「孔子は怪力乱神について語らなかった」という記述が出てきますが、
ここで孔子の言葉として語られている「怪力乱神」(かいりょくらんしん)という言葉は、怪異(かいい)・勇力(ゆうりょく)・悖乱(はいらん)・鬼神(きしん)という四つの存在のことを意味していて、
「怪力乱神を語らず」という言葉全体の意味としては、怪異や鬼神といった不可思議な存在については、人間の理性によって説明することができないので敢えてそれについて語ることをしないという孔子の学問探究における指針となる態度を示していると考えられることになります。
そして、
こうした『論語』の記述のなかにも出てくる「神」すなわち「鬼神」という言葉は、そこに「鬼」という字が含まれているからといって、それは決して、頭に角が生え、手には金棒を持っているような妖怪や怪物のような存在のことを意味しているわけではなく、
例えば、現代でも、
誰か自分が知っている人物が亡くなったことを指して、「祖父はすでに鬼籍に入っている」といった表現を用いることがあるように、
この場合の「鬼」とは、その人物がすでに死後の状態にあることを意味する言葉として用いられていて、
「鬼神」という言葉も、死後の状態にある超常的な力をもった存在、すなわち、死者の霊魂のことを意味する言葉として用いられていると考えられることになるのです。
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以上のように、
「神」という漢字は、漢字自体の形の成り立ちとしては、ギリシア神話におけるゼウスのような雷神や天の神の姿のようなものを表していると考えられるものの、
『論語』における孔子の「怪力乱神を語らず」という言葉における「鬼神」すなわち死者の魂としての神の概念にみられるように、
古代中国においては、「神」という言葉は、「形」である肉体が死と共に滅び去った後にも、それ自身は滅びることなく存在し続ける「不死なる存在」としての魂のことを意味する言葉として用いられていたと考えられることになります。
そして、
こうした古代中国においては、死者の魂のことを意味していた「神」という言葉が、同じく「不死なる存在」であり、人間を超えた超常的な存在とされる神(God)のことを意味する言葉としても用いられるようになっていくことによって、
現在の日本語における「神」の概念が形成されていくことになったと考えられることになるのです。
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