怪力乱神とは何か?怪異・勇力・悖乱・鬼神という四つの概念の具体的な意味とは?
前回の記事でも書いたように、儒教の基本書とされている四書五経のうちの一つである『論語』においては、「怪力乱神を語らず」という孔子の言葉が出てきます。
つまり、紀元前5世紀頃の古代中国の春秋時代の思想家にして、儒教の創始者である孔子は、こうした「怪力乱神」と呼ばれるような事柄については、自分自身や、その思想を受け継ぐ儒学者たちが語るべきではない事柄として位置づけていたと考えられるということです。
そこで、今回の記事は、この言葉において孔子が語るべきではない事柄として挙げている怪・力・乱・神という四つの要素とは、
それぞれ具体的にどのような意味をもった概念として解釈することができるのか?ということについて詳しく考えてみたいと思います。
怪力乱神における怪異・勇力・悖乱・鬼神という四つの概念の意味とは?
『論語』の「述而(じゅつじ)第七」の篇の第20節では、
「子不語怪力乱神」(孔子は怪力乱神について語らなかった)という記述があり、
前回も書いたように、ここで孔子の言葉として語られている「怪力乱神」(かいりょくらんしん)とは、
怪異(かいい)・勇力(ゆうりょく)・悖乱(はいらん)・鬼神(きしん)という四つの事柄のことを意味していると考えられることになるのですが、
それでは、こうした怪異・勇力・悖乱・鬼神という四つの概念とは、それぞれ具体的にどのような意味をもつ言葉として解釈されることになるのでしょうか?
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まず、上記の四つの概念のうちのはじめの要素として挙げられている「怪」すなわち、「怪異」(かいい)とは、
現実にはあり得ないような人間の理解の範囲を超えた不思議な現象、すなわち、超常的な現象のことを意味する言葉であり、
化け物や怪物のような正体不明の奇怪な存在のことを指して、こうした言葉が用いられることもあると考えられることになります。
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そして、
次に挙げられている「力」すなわち、「勇力」(ゆうりょく)とは、並外れて強く勇ましい力のことを意味していて、
この場合の勇力とは、蛮勇や蛮力といった物事の理非を考えずに発揮される向こう見ずな勇気や武力のことを意味していると考えられることになります。
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また、
その次に挙げられている「乱」すなわち、「悖乱」(はいらん)という言葉に含まれている「悖」(ハイ)という漢字は、訓読みでは「もとる」と読まれる字であり、
現代の常用漢字としての表記では、「背」(ハイ)という漢字として書き換えられることもあるように、この漢字は、道理に背くことや、人の道に反する行いのことを意味する字として解釈することができると考えられることになります。
したがって、「悖乱」という言葉も、その言葉全体の意味としては、
国のあるべき秩序を乱し、法や道理に背くような行いのあり方をさして、こうした言葉が用いられると考えられることになるのです。
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そして、最後に挙げられている「神」すなわち、「鬼神」については、詳しくは前回の記事で書いたように、
「鬼神」という言葉には「鬼」という字が含まれているものの、この言葉自体には頭に角の生えた赤鬼や青鬼といった想像上の怪物のことを指すような現代における一般的な意味での「鬼」としての意味合いは含まれておらず、
「鬼神」あるいは「神」といった言葉は、古代中国思想においては、「形」としての肉体が滅び去った後にも残る死者の霊魂のことを意味する言葉であったと考えられることになります。
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以上のように、
『論語』の「述而篇」において語られている「怪力乱神」(かいりょくらんしん)という言葉における怪・力・乱・神という四つの概念の具体的な意味とは、それぞれ、
怪=怪異とは、人間の理解の範囲を超えた超常的な現象、
力=勇力とは、物事の理非を考えずに発揮される蛮勇や蛮力、
乱=悖乱とは、国のあるべき秩序を乱す道理や人の道に背く行い、
神=鬼神とは、人間の肉体が滅び去った後にも残る死者の霊魂
のことを意味する概念として解釈することができると考えられることになります。
そして、孔子は、こうした四つの事柄について、それを人倫と政治規範を説く儒学者が語るべきではない事柄として位置づけていたと考えられることになるのです。
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次回記事:怪力乱神を語るべきではないとされる二つの理由とは?孔子によって否定されている二つの知の探究の方向性
前回記事:神の定義とは何か?①漢字における「鬼神」すなわち死者の魂としての神の概念
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