旧約聖書において神の存在の具体的なあり方が記されている20箇所の記述
キリスト教における神とは、具体的にどのような存在として定義されるのか?ということについてより正確な答えを得るためには、
キリスト教の聖典である旧約聖書と新約聖書において、神の存在のあり方についての言及がなされている記述を一つ一つ取り上げたうえで、
それぞれの記述における神の定義のされ方について詳しく考察していくことが必要となると考えられることになります。
そこで、今回の記事では、そうした聖書における神の定義についての記述のうち、まずは、旧約聖書において神の存在の具体的なあり方が記されている記述について一つ一つ順番に取り上げていきたいと思います。
旧約聖書において神の存在の具体的なあり方が記されている20箇所の記述
旧約聖書に出てくる記述の中で、
神自身が自分がどのような存在であるかを名乗っている場面や、預言者によって信仰すべき神の具体的な存在のあり方が示されている場面などが記されている主要な箇所について片っ端から調べ上げていったうえで、
それぞれの記述を新共同訳聖書における書名と章の並び順にしたがって書き並べていくと、
例えば、以下のような旧約聖書における20箇所の記述を挙げることができると考えられることになります。
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「初めに、神は天地を創造された。」
(旧約聖書「創世記」1章1節)
「神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。」
(旧約聖書「創世記」1章3~5節)
「蛇は女に言った。『決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。』」
(旧約聖書「創世記」3章4~5節)
「主はアブラムに現れて言われた。『わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。』」
(旧約聖書「創世記」17章1節)
「わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる。」
(旧約聖書「創世記」17章7節)
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「あなたはほかの神を拝んではならない。主はその名を熱情といい、熱情の神である。」
(旧約聖書「出エジプト記」34章14節)
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「偶像を仰いではならない。神々の偶像を鋳造してはならない。わたしはあなたたちの神、主である。」
(旧約聖書「レビ記」19章4節)
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「あなたの神、主は憐れみ深い神であり、あなたを見捨てることも滅ぼすことも、あなたの先祖に誓われた契約を忘れられることもない」
(旧約聖書「申命記」4章31節)
「主は岩、その御業は完全で、その道はことごとく正しい。真実の神で偽りなく、正しくてまっすぐな方。」
(旧約聖書「申命記」 32章4節)
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「主よ。あなただけが地上のすべての王国の神であり、あなたこそ天と地をお造りになった方です。」
(旧約聖書「列王記下」19章15節)
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「神と共に知恵と力はあり、神と共に思慮分別もある。」
(旧約聖書「ヨブ記」12章13節)
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「彼らが悟りますように。あなたの御名は主。ただひとり、全地を超えて、いと高き神であることを。」
(旧約聖書「詩編」83章19節)
「知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。わたしたちは主のもの、その民、主に養われる羊の群れ。」
(旧約聖書「詩編」100章3節)
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「わたしは知った。すべて神の業は永遠に不変であり、付け加えることも除くことも許されない、と。神は人間が神を畏れ敬うように定められた。」
(旧約聖書「コヘレトの言葉」3章14節)
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「万軍の主をのみ、聖なる方とせよ。あなたたちが畏るべき方は主。御前におののくべき方は主。」
(旧約聖書「イザヤ書」8章13節)
「思い起こせ、初めからのことを。わたしは神、ほかにはいない。わたしは神であり、わたしのような者はいない。」
(旧約聖書「イザヤ書」46章9節)
「わたしを裁いてくださるのは主であり、働きに報いてくださるのもわたしの神である。」
(旧約聖書「イザヤ書」49章4節)
「高くあがめられて、永遠にいまし、その名を聖と唱えられる方がこう言われる。」
(旧約聖書「イザヤ書」57章15節)
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「人間が神を造れようか。そのようなものが神であろうか。」
(旧約聖書「エレミヤ書」16章20節)
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「あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。」
(旧約聖書「ヨナ書」4章2節)
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上記の旧約聖書における20箇所の記述のうち、
「偶像を仰いではならない。神々の偶像を鋳造してはならない。わたしはあなたたちの神、主である。」(旧約聖書「レビ記」19章4節)という記述と、
「人間が神を造れようか。そのようなものが神であろうか。」(旧約聖書「エレミヤ書」16章20節)という記述の2箇所の記述については、
偶像のように、人の手によって造られたようなものは神ではないという神についての否定的な定義が語られていると考えられることになりますが、
残りの18箇所の記述については、「神は~である」という神についての肯定的な定義がなされていると考えられることになります。
そこで、次回は、今回取り上げた20箇所の記述のうちから、「神は~ではない」という否定的な定義がなされている2箇所の記述を除いた旧約聖書における18箇所の記述から、
具体的にどのような形で旧約聖書における神の定義を導き出すことができるのか?ということについて詳しく考察していきたいと思います。
・・・
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