ケルビム(智天使)とは何か?旧約聖書に登場するケルビムの具体的な姿や特徴とヘブライ語におけるケルブとケルビムの意味

ケルビム(Cherubimとは、日本語においては知恵や知識を司る天使のことを意味する智天使(ちてんし)と訳されていることが多い言葉であり、

キリスト教においては、こうしたケルビムあるいは智天使と呼ばれる存在は、最上位の天使の階級として位置づけられているセラフィムあるいは熾天使(してんし)と呼ばれる天使の存在に次いで第二位の階級にある極めて高位の地位にある天使として位置づけられていると考えられることになります。

それでは、こうしたケルビムあるいは智天使と呼ばれているキリスト教における天使の存在は、キリスト教とユダヤ教の共通の聖典にあたる旧約聖書においては、より具体的にはどのような特徴を持った存在として描かれていると考えられることになるのでしょうか?

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旧約聖書「創世記」におけるエデンの園の守護者としてのケルビム

そもそも、

こうしたケルビム(Cherubimという言葉は、ケルブ(Cherubという単語の複数形にあたる言葉であり、より正確には、

そうした智天使と呼ばれる天使の存在が一人だけの場合にはケルブ(Cherubと呼ばれるのに対して、複数の智天使たちが集まっている場合には、ケルビム(Cherubimと呼ばれることになると考えられることになります。

そして、もともと、

こうしたケルブ(Cherubあるいはケルビム(Cherubimという言葉は、旧約聖書が書かれた原語にあたるヘブライ語においては、「祝福された者」あるいは「偉大な者」といった意味を持つ言葉であったと考えられることになるのですが、

旧約聖書において、こうしたケルビムという言葉が神のもとに仕える天使のような存在のことを意味する言葉としてはじめて登場するのは、以下で示したような

旧約聖書の最初の書にあたる「創世記」における神が創り上げた人類の楽園であったエデンの園からのアダムとイヴの追放の場面であると考えられることになります。

・・・

主なる神は、彼(アダム)をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土(アダマ)を耕させることにされた。

こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた

(旧約聖書「創世記」3章 23節~24節)

・・・

こうした旧約聖書の「創世記」において見られるように、

ケルビムと呼ばれる天使たちは、日本語では智天使とも呼ばれるように知恵や知識を司る高度な知性を持った天使として位置づけられていると同時に、

エデンの園神の玉座を守るといった役割も担う聖なる場所の守護者のような存在としても位置づけられていると考えられることになるのです。

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「エゼキエル書」における四つの顔と四つの翼と四本の手を持つ異形の姿をした天使としてのケルビム

また、

こうしたケルビムあるいは智天使と呼ばれる存在は、「列王記」と共に古代イスラエルの歴史書として位置づけられている「サムエル記」においては、

・・・

主は天を傾けて降り、密雲を足もとに従え、

ケルビムを駆って飛び風の翼に乗って現れる

(旧約聖書「サムエル記下」22章 10節~11節)

・・・

と記されているように、自らの上に神を乗せて天空を駆け巡るといった神の乗り物や移動手段のような役割を担う存在としても位置づけられていくことになるのですが、

そうしたケルビムと呼ばれる天使の具体的な姿かたちがより詳細な形で記述されている箇所としては、古代イスラエルの預言書の一つとして位置づけられる「エゼキエル書」における以下のような記述が挙げられることになると考えられることになります。

・・・

わたしが見ていると、北の方から激しい風が大いなる雲を巻き起こし、火を発し、周囲に光を放ちながら吹いてくるではないか。その中、つまりその火の中には、琥珀金の輝きのようなものがあった。

またその中には、四つの生き物の姿があった。その有様はこうであった。彼らは人間のようなものであった。 それぞれが四つの顔を持ち、四つの翼を持っていた

脚はまっすぐで、足の裏は子牛の足の裏に似ており、磨いた青銅が輝くように光を放っていた。 また、翼の下には四つの方向に人間の手があった。四つとも、それぞれの顔と翼を持っていた。

翼は互いに触れ合っていた。それらは移動するとき向きを変えず、それぞれ顔の向いている方向に進んだ。

その顔は人間の顔のようであり、四つとも右に獅子の顔、左に牛の顔、そして四つとも後ろには鷲の顔を持っていた。顔はそのようになっていた。

翼は上に向かって広げられ、二つは互いに触れ合い、ほかの二つは体を覆っていた。 それらはそれぞれの顔の向いている方向に進み、霊の行かせる所へ進んで、移動するときに向きを変えることはなかった。

生き物の姿、彼らの有様は燃える炭火の輝くようであり、松明の輝くように生き物の間を行き巡っていた火は光り輝き、火から稲妻が出ていた。 そして生き物もまた、稲妻の光るように出たり戻ったりしていた。

わたしが生き物を見ていると、四つの顔を持つ生き物の傍らの地に一つの車輪が見えた。 それらの車輪の有様と構造は、緑柱石のように輝いていて、四つとも同じような姿をしていた。その有様と構造は車輪の中にもう一つの車輪があるかのようであった

それらが移動するとき、四つの方向のどちらにも進むことができ、移動するとき向きを変えることはなかった。 車輪の外枠は高く、恐ろしかった。車輪の外枠には、四つとも周囲一面に目がつけられていた

生き物が移動するとき、傍らの車輪も進み、生き物が地上から引き上げられるとき、車輪も引き上げられた。

それらは霊が行かせる方向に、霊が行かせる所にはどこにでも進み、車輪もまた、共に引き上げられた。生き物の霊が、車輪の中にあったからである

(旧約聖書「エゼキエル書」1章4節~20節)

・・・

以上のように、

上述したエゼキエル書の1における旧約聖書の記述においては、その後の、エゼキエル書の10章においてケルビムという名で呼ばれることになる天使の存在は、

人間ライオンワシの姿をした四つの顔と、四つの翼四本の手を持ち、無数の目を持つ生きた車輪と一体となって、

稲妻を放ちながら燃える炭火のように輝きをたたえて天空を駆けめぐっていくという異形の姿をした存在として

そうしたケルビムあるいは智天使と呼ばれる天使の姿が描かれていると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:旧約聖書のケルビムの車輪とユングの心理学のマンダラとの関係、預言者エゼキエルの自己の内面を通じた神との対話と生命の樹

前回記事:旧約聖書のエゼキエル書において記されているサタンの天上での栄光から地上への堕天までの顛末、サタン(悪魔)とは何か?③

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