愛のあり方の二つの方向性の違いとは?①、愛する主体と愛される対象との上下関係の違いに基づく愛の概念の分類
「古代ギリシアにおける四つの愛の概念の違い」の記事で取り上げたように、
ギリシア語やラテン語においては、エロス、アガペー、フィリアといった様々な種類の愛の概念が存在すると考えられることになります。
そして、これらの様々な種類の愛の概念は、愛する主体と愛される対象との関係性の違いや愛が向かっていく方向性の違いなどに応じて分類されていると考えられることになるのですが、
それでは、このようなギリシア語やラテン語における愛の概念の分類に基づくと、人間同士の間、あるいは人間と神の間で働く愛のあり方には、具体的にどのような方向性の違いがあると考えられることになるのでしょうか?
エロスとアガペーにおける愛する主体と愛される対象との上下関係
「エロスとアガペーの違いとは?哲学におけるエロスの意味」の記事で書いたように、
ギリシア語におけるエロス(eros)という愛の概念は、基本的には自分より上位の崇拝の対象へと向けられる上り道の愛であると考えられることになり、
それに対して、
同じくギリシア語における愛の概念の一つであるアガペー(agape)は、神から人間へと向けられる無限で無償なる愛としての下り道の愛として捉えられることになります。
このように、
愛の概念の分類の仕方としては、まずは、上記のような愛する主体と愛される対象との位置的な上下関係としての方向性の違いが挙げられることになります。
フィリアやアミキティアにおける対等な愛の関係の成立と、互いに互いの存在を自らの上位に置きあう双方向的な愛のあり方
それに対して、
友愛を意味するギリシア語におけるフィリア(philia)やラテン語におけるアミキティア(amicitia)、あるいは兄弟愛を意味するフラテルニタス(fraternitas)といった愛の概念においては、
愛する主体もその愛が向かう対象についても、友人同士や兄弟同士といった比較的対等な関係において愛が成立していると考えられることになります。
また、前述したエロスやアガペーにおける愛のあり方においても、
それが神と人間といった存在の本質自体に根本的な差異がある者との間で働く場合は、人間は神をひたすら仰ぎ見、それに対して、神は限りになき高みから人間を慈しむという一方的な上下関係だけにおいて愛が成立していると考えられることになりますが、
こうした愛のあり方が人間同士の間で働く場合では、必ずしも片方が他方に対して一方的な上位あるいは下位から愛を注ぐという形でしか関係が成立しえないわけではなく、
人間同士の愛のあり方においては、互いが互いに対して同等の感情を抱きあう愛のあり方がエロスやアガペーといった愛の概念においても成立しうると考えられることになります。
ただし、その場合は、
フィリアやアミキティアのように、互いが互いを直接的に同等の立場に置くことによって対等な愛の関係が成立しているわけではなく、
むしろ、互いが互いに対して憧れや尊敬の念をいだきあうという、ある意味で、互いに互いの存在を自らの上位に置いて尊重しあうという双方向的な上下関係の成立によって、結果として対等な愛の関係が成り立っていると考えられることになるのです。
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以上のように、
ギリシア語やラテン語における愛の概念に基づく愛のあり方の方向性の違いとしては、まず、愛する主体と愛される対象との間の上下関係としての方向性の違いが挙げられることになります。
そして、基本的には、
フィリアやアミキティアあるいはフラテルニタスといった愛の概念が、友人同士や兄弟同士といった対等な関係において成立する愛のあり方であるのに対して、
エロスやアガペーといった愛の概念は、エロスが自分より上位の崇拝の対象へと向けられる上り道の愛、アガペーは神から人間へと向けられる無限で無償なる愛としての下り道の愛であるというように、明確な上下関係において成立する愛のあり方であると考えられることになるのです。
そして、
ギリシア語やラテン語における愛の概念の分類に基づく愛のあり方の方向性の違いとしては、今回取り上げた愛する主体と愛される対象との間の上下関係という軸の他に、
外向きの愛と内向きの愛の違いという意味での方向性の違いもあると考えられることになのですが、それについてはまた次回詳しく考えていきたいと思います。
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次回記事:外向きの愛としてのエロスと内向きの愛としてのフィリアの違い、愛のあり方の二つの方向性の違いとは?②
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