外向きの愛としてのエロスと内向きの愛としてのフィリアの違い、愛のあり方の二つの方向性の違いとは?②
前回書いたように、
エロスという愛の概念が、基本的には、人間から神へ、あるいは信奉者から崇拝の対象へ向けられるような自分より上位の存在へと向けられる愛のあり方であるのに対して、アガペーという愛の概念は、神から人間へと向けられる下り道の愛であり、
それに対して、フィリアやアミキティア、フラテルニタスといった愛の概念は、友人同士や兄弟同士といった対等な関係において成立する愛の形であるというように、
ギリシア語やラテン語における愛のあり方の方向性の違いとしては、まず、
上向きか、下向きか、それとも対等な関係なのか?という上下関係に基づく愛の方向性の違いが挙げられることになります。
しかし、その一方で、
いったんこうした上下関係の視点から見た方向性の違いを離れて、上記のそれぞれの愛の概念を前回とは異なる視点から見つめ直してみると、また別の側面における愛のあり方の方向性の違いが見いだされていくことになります。
外向きの愛としてのエロスとアガペー
冒頭でも書いたように、エロスが下位の存在から上位の存在へと向かう愛のあり方であるのに対して、アガペーの方は上位の存在から下位の存在へと向かう愛のあり方であると考えられるように、
両者の愛の概念は、愛の主体と愛される対象との上下関係としては、互いに真逆の関係にある愛のあり方であると捉えられることになります。
しかし、
両者とも、愛の対象が自らの存在や既存の人間関係の範囲の外において求められ、新たな対象へと向かって広がっていく愛のあり方をしているという点においては、互いに共通するところがあるとも考えられることになります。
つまり、
エロスとアガペーという二つの愛の概念は、両者とも、自分自身や既存の人間関係の外部に位置する存在へと愛が向けられ、自分自身とは異質な存在へと広がっていく外向きの愛であるという点においては、互いに共通する方向性をもった愛のあり方をしていると考えられるということです。
内向きの愛としてのフィリアとアミキティア、フラテルニテ
そして、それに対して、
フィリアやアミキティア、フラテルニテといった愛のあり方においては、通常、愛は新たな対象や既存の人間関係の外部へと広がっていくことは求められず、
それはむしろ、既に存在する人間関係の結束を強めていく方向へと働いていくことになります。
つまり、
フィリアやアミキティア、フラテルニテといった友愛や兄弟愛を意味する愛の概念は、自分自身がすでに組み込まれている既存の人間関係の内部において愛の力が働き、集団としての結束力を強化していくという方向性を持った内向きの愛として捉えられるということです。
少し別な言い方をするならば、
エロスとアガペーにおいては、愛の対象は自らの外部に位置する異質な存在に求められるのに対して、
フィリアやアミキティアにおける愛のあり方の本質には同質性があり、自らを含む同質的な存在同士の内部的な結束力を強める方向へと愛の力が働いていくと考えられることになるのです。
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以上のように、
エロスとアガペーが上向きか下向きかという意味での方向性の違いはあるものの、両者とも、自らの外部に新たなつながりを見いだし、愛のあり方を新たな形へと発展させていこうとする外向きの方向性を持った愛のあり方であるのに対して、
フィリアやアミキティア、フラテルニテといった愛の概念は、すでにある人間関係を強め、集団内での互いの結束を促す内向きの方向性を持った愛のあり方であると考えられることになります。
そして、このように、
ギリシア語やラテン語における愛の概念の分析に基づくと、愛のあり方の方向性の違いとしては、
前回取り上げた上向き、下向き、そして対等な関係において成立する愛という上下関係の視点から見た方向性の違いの他に、
今回取り上げた外向きの愛と内向きの愛という遠心力と求心力、あるいは異質性と同質性といった視点から見た方向性の違いが挙げられることになります。
つまり、
ギリシア語やラテン語における愛のあり方の方向性の違いとしては、
上か下かという方向性と、内か外かという方向性という二つの観点から見た方向性の違いが存在すると考えられるということです。
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前回記事:愛のあり方の二つの方向性の違いとは?①、愛する主体と愛される対象との上下関係の違いに基づく愛の概念の分類
関連記事:古代ギリシアにおける四つの愛の概念の違い、エロスとフィリアとアガペーとストルゲー
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