デモクリトスの原子論における魂の原子とは何か?

デモクリトスの哲学の概要」で書いたように、

デモクリトスの原子論においては、

精神的存在であるの存在も

原子atomaアトマ、分割できないもの)
という物質的存在の寄せ集めとして捉えられ、

魂も、宇宙全体も、すべてが物質的存在としての原子から構成されるという
唯物論的世界観が展開されることになりますが、

デモクリトスの原子論における魂の原子とは、
具体的にどのような存在なのでしょうか?

それは、具体的にどのような形をしていて、
どのようにして人間の身体を動かし、

人間の心の状態を司る存在として、
どのように機能していると考えられるのでしょうか?

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身体というモビルスーツの操縦者としての魂の原子

デモクリトスによると、

魂の原子の基本的な形状は、
小さな球状の形をしていて、

極めて微細な粒子であるため、人間の身体を含めた
様々な物体に侵入しやすい性質を持つとされます。

そして、

魂の原子が、一度、特定の物体に侵入すると、
自らの動きに連動して、侵入した物体を動かすようになり、

それによって、魂の動き、すなわち、人間の魂自らの意志による
身体の運動が可能となるとされます。

例えるならば、

ガンダムのモビルスーツMobile Suit、通称MS)のような、
操縦者が直接、機体の中に入り込んで操縦するタイプのロボットのように、

魂の原子という操縦者が、
人間の身体の中に乗り込んで、

頭の中で、あちらこちらのレバーを引いて、
試行錯誤しながら、全身の筋肉を稼働させ、
身体を操縦しているというイメージです。

つまり、

人間の魂の原子は、その身体の誕生に呼応して、
人体の中に潜り込み、

成長とともに、試行錯誤しながら、
身体の効率の良い操作方法を学んでいき、

中に乗り込んでいる自分自身も動くことによって、
その動きに連動して、身体を自由に操作するようになる

ということです。

魂と火、丸い球状の粒子と鋭く尖った粒子

先ほど述べたように、デモクリトスによると、

標準的な魂の原子の姿は、
丸い球状の形をしているとされますが、

それは、同時に、鋭く尖った原子から構成される
火の性質をもった原子であるともされています。

ヘラクレイトスにおいても、
火は生命の原理であり、万物の始原でもあるとされていますが、

デモクリトスも、同様に、

炎の揺らめきの中で、刻々と姿を変えながら、
エネルギッシュに熱と光を放ち続ける火の姿を

生命の活力の源として捉え、

そうした火の活動的なあり方が、
魂の原子の根源にもあると考えたということです。

そして、

人間の精神活動において、

心が激しい怒り憎しみに苛まれ、

魂が、本来の
球状で安定した静かな状態から逸脱すると、

攻撃的な活動性そのものの姿である
魂の火の粒子としての側面が強調されていくと考えられます。

つまり、

怒りや激高、憤怒、憎悪といった
強い感情が沸き起こると、

魂の原子は、まさに、
炎を出して激しく燃え盛る物体を構成する原子のように、

角立って、鋭く尖った形状となり、

原子同士の動きも
激しく乱れた動きをするようになって暴走していき、

魂本来の平静で穏やかな状態がかき乱され、
我を忘れて、己を見失うことになってしまう

ということです。

また、反対に、

悲しみ絶望の中で、
原子の動きが著しく鈍くなっていくと、

魂の原子は、その本性である
自ら動き他のものを動かすという
その活動性自体を失ってしまうことになります。

そして、

精神状態の悪化に限らず、病や老化によって
魂の活動性が弱まれば、

最終的には、その活動の停止である
死を迎えることになるのです。

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大気中を循環する生命の粒子

デモクリトスにおいては、

魂の原子は、人間や生物の身体の中だけではなく、
空気の中にも微量に含まれているとされます。

生物が生きている間は、体内の魂の原子はその肉体の内にとどめ置かれ
外気からも、微量の魂の原子を補給することによって、
活動性を維持しているのですが、

生物がその死を迎えると、
肉体を構成する原子と同じように
魂の原子も散り散りになって、四方八方へと離散することになります。

魂の原子は、生物の死に際して、
その身体の内にためこめられていた生命エネルギーごと、
一気に、大気中へと解き放たれることになるのです。

こうした、大気自体に、生命力の源が含まれていて、
そうした大気中の有形無形の生命エネルギーを拠り所にして
生物の活動が営まれているという考え方は、

アナクシメネスの空気(アーエール)に基づく
生命論的宇宙観や、

旧約聖書におけるプネウマ(息)、さらには、
東洋思想の気の概念

にも通じる世界観ということになりますが、

人間がその死を迎えると、

身体に長くとどまっていた魂の原子が大気中へと解放されて、
空気中を飛び交っていき

大気の循環の中、遠くへと運ばれていった
魂の原子たちは、

世界のどこか別の場所の別の肉体において、
再び別の形で集合し、

そこに新しい生命が誕生することになるのです。

・・・

以上のように、

デモクリトスの原子論に基づくと、

唯物論でありながら、

肉体が滅んでも、その肉体を構成する原子は、
別の新たな生命体を構成する原子として再生するのと同様に、

魂の原子も、生物の死と共に、
大気中へと解き放たれ、

別の場所の別の身体において再び集まり、
別の生命体の内で再生するという

魂の原子が集合離散を繰り返しながら、
大気中を循環し、生命の循環と再生が繰り返されていく

生命論的な世界観が展開されることになるのです。

・・・

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