デモクリトスにおける魂の平安からエピクロスのアタラクシアへ

前回考えたように、
デモクリトスの原子論においては、

精神的存在である
魂も原子から構成されるとされ、

魂も含めた、世界におけるすべての存在が、
物質的存在としての原子から構成されることになります。

そして、

以上のような唯物論的世界観に基づいて、
倫理面においては、

原子から構成される魂の状態を安定した状態に保つことが
求められることになり、

魂の原子の安定こそが、
人間の理想の生き方とされることになります。

デモクリトスにおける魂の原子の安定状態、すなわち、
魂の平安とは、具体的に、どのような心理状態、
どのような生き方のことを指し示しているのでしょうか?

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適度な喜びと快楽としての明朗闊達さ

魂の原子が安定した状態にあるということは、

原子の形状が角張っていたり、歪んでいたりすることなく、
丸い球状の形を保っていて、

原子同士の動きにも乱れがなく、整然としていて、
魂の原子本来の静かな活動性を保っている状態にある

ということを意味します。

そして、

それは、具体的な心理状態として言い表すと、

日々の生活の中で、自分の耳に聞こえ、目に移る物事に
一喜一憂して気分が浮き沈みすることなく、

自分の身に降りかかる様々な出来事に対する
怒りや恐怖や憎しみによって苛まれ
心をかき乱されることもなく、

過度な利益や快楽を求めずに、
自らの能力や資質に見合った適度な喜びと快楽によって
心が満たされている状態のことを意味します。

その上で、デモクリトスの倫理学においては、

そうした平静な心適度な快楽に基づく魂の安定状態

魂の「明朗闊達かったつ」(euthymiaエウテュミア)として捉えられ、

そうした明朗闊達な魂の安定状態を保ち続けることこそが、

人間における「幸福」(euestoエウエストー)である
と説かれることになります。

つまり、

日々の出来事に心をかき乱されずに平静な心の状態を保ち、
自らの心を、常に適度な喜びと快楽によって満たし続けるという

魂の内的な安定状態を保ちづづけることが、
人間における最大の幸福であり、

そのような魂の平安としての幸福を得ることこそが、
人生の究極の目的でもあるということです。

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デモクリトスにおける魂の平安からエピクロスのアタラクシアへ

そして、

デモクリトスの原子論における、以上のような、

魂の内的な安定状態適度な喜びと快楽としての
魂の平安の追求こそが人生の目的であり、理想の境地であるという考え方は、

その後、

ヘレニズム期の双璧を成す哲学の学派である
エピクロス派ストア派における倫理観へもつながっていくことになります。

エピクロス派では、

魂が内的に安定し、適度な快楽に満たされた状態としての
魂の平安は、

外界の何ものにも煩わされない平静な心の状態としての
精神的快楽として捉えられ、

そうした精神的快楽を享受する
理想の境地である

アタラクシアataraxia)に至ることが、

人生の目的であり、理想の生き方とされることになります。

また、ストア派においても、

エピクロス派のアタラクシアとほぼ同様の概念である

アパテイアapatheia、欲望に支配されず、理性に従うことによって得られる精神の不動の境地)という状態が、

理想の生き方として求められていくことになります。

以上のように、

デモクリトスの原子論は、
その倫理思想の面においても、

エピクロス派ストア派といった
ヘレニズム期やローマ帝国時代の哲学へと
受け継がれていくことになるのです。

・・・

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