マニ教とマンダ教とグノーシス主義の関係とは?教義と宗教集団としての特徴の違い、グノーシス主義とは何か?⑥
「グノーシス主義の善悪二元論と禁欲主義と快楽主義」の記事で書いたように、
物質と精神の本源的な区別を説いたうえで、魂やイデアといった精神的存在を善として、物体や肉体といった物質的存在を悪とするグノーシス主義における善悪二元論の思想からは、
禁欲主義と快楽主義という互いに相反する両極端な倫理思想が導き出されます。
そして、前者の禁欲主義的な側面は、マニ教やマンダ教といったグノーシス主義の流れをくむ宗教思想の内へと受け継がれていくことになるのですが、
それでは、こうしたマニ教とマンダ教というグノーシス主義の流れをくむ二つの宗教には、それぞれの教義や宗教集団としての特徴に具体的にどのような違いがあると考えられることになるのでしょうか?
グノーシス主義とゾロアスター教に起源をもつ世界宗教としてのマニ教
マニ教(Manichaeism、マニキイズム)とは、3世紀にササン朝ペルシアの時代のイランにおいて、預言者マニ(Mani)によって創始された宗教であり、
4世紀になると、イラン高原からメソポタミア地方、さらには地中海世界全域へと広がっていき、7世紀頃には唐の時代の中国にまで伝播していくことになります。
しかし、その後マニ教は、
キリスト教やイスラム教といった他の世界宗教から異端信仰として迫害されたことや中国の歴代王朝からも度重なる迫害を受けたことによって勢力を急速に縮小させていき、
現代では、中国のごく一部の地域を除いて信徒はほとんど存在ぜず、ほぼ絶滅した宗教と言っても過言ではない宗教思想となっています。
そして、こうしたマニ教は、その教義においては、
グノーシス主義や初期キリスト教からの影響のほかに、同じく古代ペルシアを起源とする宗教であり、ササン朝ペルシアにおいて国教とされていたゾロアスター教からの影響も強く受けていくことになります。
ゾロアスター教とは、紀元前1000年前頃の時代の古代ペルシアの預言者であるゾロアスター(Zoroaster、ペルシア語ではザラスシュトラ、ドイツ語ではツァラトゥストラと呼ばれる)を伝説的な開祖とする古代宗教であり、
ゾロアスター教においては、善神アフラ・マズダと悪神アンラ・マンユ(アーリマン)との闘争という善と悪、光と闇という明確な善悪二元論によって世界全体が捉えられていくことになります。
ちなみに、ゾロアスター教の寺院においては、火が絶えることなく燃え続けていて、信者たちはその炎に向かって祈りを捧げていたことから、ゾロアスター教は別名拝火教とも呼ばれていますが、
こうしたことも、ゾロアスター教においては純粋な火は、光そのものであり、それがアフラ・マズダの善なる光の象徴とされていたことに由来することになります。
そして、グノーシス主義と共に、こうしたゾロアスター教からの思想的影響も強く受けていたマニ教においては、両者の思想における善悪二元論の思想がより強調される形で受け継がれていき、
人間自身の存在も光=善である魂と、闇=悪である肉体の混合によって生じていているとされたうえで、
そうした悪しき混合から魂が解き放たれ、純粋な光の世界へと回帰することによって魂の救済が得られるという思想が展開されていくことになるのです。
グノーシス主義とユダヤ教の直接的影響が強い地域宗教であるマンダ教
それに対して、グノーシス主義の流れをくむもう一つの主要な宗教集団である
マンダ教(Mandaeism、マンデイズム)またはマンダ教団(Mandaeans、マンディアンズ)とは、キリスト教の成立とほぼ同時期にあたる1世紀頃にパレスチナのヨルダン川の流域で成立したと考えられる宗教教団であり、
その後、現在のイラク南部にあたるチグリス・ユーフラテス川の下流域一帯へと広がり、それ以上の勢力範囲の拡大はなかったものの、現代に至るまで、そのまま小規模な宗教集団を維持し続けていくことになります。
そして、教義の面においては、
マンダ教においても、グノーシス主義やマニ教などと同様に、人間の肉体を悪として、魂を善とする善悪二元論の思想が説かれていくことになります。
マンダ教のマンダ(manda)とは、彼らが用いる言語においては、もともと「知識」のことを意味する言葉であり、
これは、グノーシス主義のグノーシス(gnosis)という言葉が、もともと古代ギリシア語で「知識」や「認識」のことを意味する言葉であったのとまったく同じ意味を持つ言葉ということになります。
また、マンダ教では、
キリスト教の開祖であるイエス・キリストに洗礼を授けた人物であり、古代ユダヤの宗教家・預言者でもある洗礼者ヨハネ(バプテスマのヨハネ)を伝説上の開祖として仰いでいますが、
こうしたことからも分かる通り、マンダ教は、
グノーシス主義とユダヤ教、そして初期キリスト教からの直接的な影響がより強い宗教であると考えられることになるのです。
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以上のように、
グノーシス主義の流れをくむ二つの代表的な宗教であるマニ教とマンダ教の教義や思想傾向の違いとしては、
マニ教においては、グノーシス主義と共に、ゾロアスター教からの影響も色濃く受けることによって善と悪、光と闇という善悪二元論の思想がより強調される傾向が強いのに対して、
マンダ教の方は、グノーシス主義やユダヤ教からの直接的な影響をより強く受ける形で、人間が自らの魂の救済を得る知識(マンダ)を見いだすことを重視する思想が確立されていったと考えられることになります。
そして、両者の宗教集団としての具体的な特徴の違いとしては、
マニ教が中世の時代にかけて地中海世界全体から中国にまで広がる世界宗教としての隆盛を極めながら、度重なる迫害によって、現代ではほとんど絶滅した状態に近い宗教となってしまったのに対して、
マンダ教は、発祥地であるヨルダン川の流域からほとんど進展せずに、チグリス・ユーフラテス川の下流域一帯のみで信仰されている極めて小規模な地域宗教でありながら、現代に至るまでその小規模な宗教集団を存続させ続けているという点において、両者の間には大きな違いがあると考えられることになるのです。
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初回記事:グノーシス主義とは何か?①グノーシスという言葉の意味と魂と宇宙に関する神秘的認識
前回記事:グノーシス主義の享楽的側面と錬金術との関係とは?ゲーテのファウストにおけるグノーシスの理想の実現、グノーシス主義⑤
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