グノーシス主義の享楽的側面と錬金術との関係とは?ゲーテのファウストにおけるグノーシスの理想の実現、グノーシス主義⑤
前回の記事で書いたように、物質を悪として精神を善とするグノーシス主義における極端な善悪二元論の思想からは、
本源的に悪しき存在である肉体から離れるために肉体から生じる欲望をなるべく遠ざけようとする禁欲主義的な倫理観と同時に、魂の探究へと通じるならば地上の世界であらゆる肉体的な快楽を貪っても構わないとする極端な快楽主義の思想も導かれます。
そして、こうしたグノーシス主義における享楽的で快楽主義的な側面は、中世における錬金術や、そうした世界観を題材とした文学の世界の内へも受け継がれていくことになるのです。
グノーシス主義の享楽的側面と中世における錬金術との関係
グノーシス主義の思想は、キリスト教が誕生したのとちょうど時期を同じくする紀元後1世紀頃に成立することになりますが、
紀元後3世紀以降、ニケーア公会議やコンスタンツ公会議、エフェソス公会議といった度重なる公会議の開催のなかで、キリスト教の教義が確立されていくようになると、
公会議の場で正統な教義とされた父(主なる神)と子(イエス・キリスト)と聖霊の三位一体説や、イエス・キリストの人と神としての二重性を認めずに、
物質と精神の間の徹底された断絶とそれに基づく善悪二元論の思想を説くグノーシス主義は、異端思想として排斥されていくことになります。
そして、このような経緯から、キリスト教の正統派であるカトリック教会から異端として迫害されるようになると、
ヨーロッパ社会におけるグノーシス主義の思想運動は地下へと潜り、その一部は、錬金術や魔術といった呪術的な性格をより強く持った思想と融合していくことになります。
中世から近世にかけてのヨーロッパにおいて行われていた宗教裁判による異端迫害が魔女狩りという言葉で呼ばれていたことからも分かるように、
錬金術や魔術を行っているとされる人々は、神に逆らい悪魔を信じる者たちとして厳しい迫害の対象とされてきました。
そして、
こうしたキリスト教に反する異端としての迫害を受けながら、貴金属の生成や、不老長寿の秘術の探究といった超人的な現世利益の追求を目指す傾向が強かった錬金術師や魔術師たちの思想は、
同じく、異端としての迫害を受けながら、地上の世界における快楽の追求を許容する側面を持ったグノーシス主義との親和性が高かったことから、
こうしたグノーシス主義の享楽的側面は、その一部が、中世ヨーロッパにおける錬金術師や魔術師たちの思想の内へと受け継がれていったと考えられることになるのです。
ゲーテの『ファウスト』におけるグノーシス主義の理想の実現
錬金術や魔術が題材となった古典における代表的な文学作品というと、近世のドイツに実在した錬金術師であるファウスト博士の伝説を題材として書かれたゲーテの『ファウスト』が挙げられますが、
こうした錬金術を題材の一つとして取り入れた『ファウスト』の内にも、その思想的な背景として、グノーシス主義の思想との関連性が見いだされることになります。
『ファウスト』の中の具体的な記述を例に挙げるとすると、例えば、物語の終幕の場面において、ファウストの魂を天上の世界へと抱え上げていく天使たちが語る救済の歌の中では、以下のような記述が出てきます。
地上に残されたものを天上へと運び上げるのは、
我々にはたいへん骨が折れることなのだ。
地上にあるものは、それがたとえ炎を寄せつけぬ石綿でできていたとしても、
決して清浄なものだとは言えはしない。…
ただ永遠なる愛の力だけが、
精神を肉体からきれいに引き離すことができるのだ。
(『ファウスト』第二部、終章「山峡、森、岩、荒涼の地」)
『ファウスト』におけるこうした記述からは、
天上の世界と地上の世界、精神と肉体とを明確に区別したうえで、
そうした地上の世界に存在する肉体を含めたあらゆる物質的存在を、すべてが等しく「清浄ではないもの」、すなわち、汚れた悪しき存在として捉える世界観を読み取ることができます。
そして、こうしたゲーテの『ファウスト』における世界観は、グノーシス主義における物質と精神の徹底的な断絶に基づく善悪二元論の思想と共通する思想であると考えられることになるのです。
・・・
また、ゲーテの『ファウスト』における物語全体の話の流れについても、
ファウストは、物語の前半において、最愛の人グレートヘンを我がものとするために、彼女の兄と決闘してその命を奪ってしまい、その後、グレートヘンを精神的に追いつめることによって、結果として彼女に嬰児殺しの罪まで犯させてしまうことになります。
そして、物語の終盤においては、ファウスト自身は意図していなかったことであるとはいえ、自分の計画の邪魔になっていた老夫婦を彼らの家から立ち退かせるために下した命令が原因となり、
悪魔メフィストフェレスの手によって放たれた炎によって、その二人の老夫婦は焼き殺されてしまうことになります。
このように、
ファウストは、その地上の世界における人生の中で、欲望に従って享楽的な生活を送ることや、自らの意志を実現させるために、他人の人生を滅茶苦茶にしてしまい、そのなかで、殺人罪に匹敵するような罪さえ犯しているとも考えられることになります。
そして、
地上の世界においてそのような重大な罪を犯してすら、物語の終幕の場面において魂の救済を受け、天上の世界へと引き上げられていくファウストの姿は、
自らの魂の探究へと通じるならば地上の世界で享楽的な生活を送り、自らの欲望のために罪を犯すことになっても構わないとする極端な快楽主義として解釈されたグノーシス主義の理想の実現に極めて近いあり方をしていると考えられることになるのです。
・・・
次回記事:マニ教とマンダ教とグノーシス主義の関係とは?教義と宗教集団としての特徴の違い、グノーシス主義とは何か?⑥
前回記事:グノーシス主義の善悪二元論から禁欲主義と快楽主義の両方が導き出される理由とは?グノーシス主義とは何か?④
「哲学」のカテゴリーへ
「ファウスト」のカテゴリーへ