グノーシス主義の善悪二元論から禁欲主義と快楽主義の両方が導き出される理由とは?グノーシス主義とは何か?④
「グノーシス主義の哲学思想における三つの特徴」の記事で書いたように、グノーシス主義においては、
魂やイデアといった精神的存在を善として、物体や肉体といった物質的存在を悪とする物質と精神の根源的な区別に基づく善悪二元論の思想が説かれていると考えられます。
そして、こうしたグノーシス主義における善と悪の二元論からは、
禁欲主義と快楽主義という互いに相反する両極端な倫理思想が導き出されることになるのです。
グノーシス主義から禁欲主義と快楽主義へと通じる二つの道
グノーシス主義における善悪二元論の思想のように、物質的存在を悪として精神的存在を善とする思考からは、通常の場合、
肉体から生じる悪しき欲望からなるべく遠く離れ、精神の内に宿る理性の働きに従って清貧な生活を営むことを善い生き方とする禁欲主義的な倫理思想が導き出されると考えられることになります。
しかしその一方で、これから述べるように、
こうした物質と精神の徹底的な断絶に基づく善悪二元論の思想からは、
地上の世界におけるあらゆる享楽的な行為や不道徳な行いをも許容する極端な快楽主義の思想も導き出されると考えられることになります。
地上における行為と天上の世界の魂の断絶に基づく極端な快楽主義
グノーシス主義における善悪二元論の思想に基づくと、
物質と精神は根源的には互いに隔絶された存在として捉えられ、地上の世界に属する物質的存在と天上の世界に属する精神的存在との間に完全なる断絶が見いだされることになります。
そして、こうした考え方に基づくと、
肉体から生じる欲望によってもたらされる地上の世界における悪しき行為は、本来的には天上の世界の内にある自らの魂とは根源的には断絶した無関係なものとして捉えられることになるので、
自分自身の行いや、他者から受ける行為によって、地上の世界において自分自身の肉体が汚されることになるとしても、
そうした地上の世界における肉体の穢れが天上の世界にある自分自身の魂へと直接的な影響を与えることは一切ないと考えられることになります。
したがって、
地上の世界において行いうるありとあらゆる享楽、あるいは、自らの欲望に従って行う悪事をですら、それを通して自らの魂の探究を深めることができるとするならば、
それは、地上の世界においては穢れであっても、天上の世界においては魂を高める行為であるとして倫理的に肯定されることになるという意味での極端な快楽主義や享楽主義の思想へとつながってしまうと考えられることになるのです。
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以上のように、
物質と精神の徹底的な断絶に基づいて物質的存在を悪として精神的存在を善とするグノーシス主義における善悪二元論の思想からは、
物質的存在から成る肉体は根源的に悪しき存在であるのだから、そうした肉体から生じる悪しき欲望からなるべく遠く離れて清貧な生活を営むべきであるとする禁欲主義的な倫理観と同時に、
地上の世界に属する物質的存在と天上の世界に属する精神的存在との間は完全に断絶されているのだから、
結果として自らの魂の探究を深めることへと通じるならば、地上の世界においてあらゆる肉体的な快楽を貪ることになっても構わないとする極端な快楽主義へとつながる倫理観も導き出されることになります。
そして、上記のグノーシス主義における禁欲主義的な倫理観が、マニ教やマンダ教といったグノーシス主義の流れをくむ宗教思想の内へと受け継がれていくのに対して、
グノーシス主義の倫理思想におけるもう一方の側面である放埓で快楽主義的な側面は、詳しくは次回述べるように、
その一部は、中世のヨーロッパにおける錬金術や魔術といった呪術的な性格をより強く持った思想の内へと受け継がれていくことになるのです。
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次回記事:グノーシス主義の享楽的側面と錬金術との関係とは?ゲーテのファウストにおけるグノーシスの理想の実現、グノーシス主義⑤
前回記事:グノーシス主義におけるアイオーン(至高神)とデミウルゴス(造物主)の 関係とは?グノーシス主義とは何か?③
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