デジャブ(既視感)とジャメブ(未視感)の意味の違いと共通点、メタ認識に生じる認知感覚の異常としての両者の概念
デジャブ(既視感)とは、一言でいうと、自分にとって未知の経験であるはずの認識を既知の認識であると感じてしまう認識のあり方のことを意味する概念であるのに対して、
その対義語であるジャメブ(未視感)は、自分にとって既知の認識であるはずの見慣れた事柄を初めて経験する未知の認識であるように感じてしまう認識のあり方のことを意味する概念ということになります。
それでは、こうしたデジャブとジャメブという認識のあり方については、より具体的にはどのような意味の違いと共通点があると考えられることになるのでしょうか?
デジャブとジャメブという言葉のフランス語の語源における意味の違い
詳しくはジャメブの語源に関する前回の記事と、デジャブの語源と発音に関する記事で書いたように、
既視感を意味するデジャブあるいはデジャヴュという言葉と、未視感を意味するジャメブあるいはジャメヴュと呼ばれる言葉はそれぞれ、
もともとは、フランス語のdéjà vu(デジャ・ヴュ)と、jamais vu(ジャメ・ヴュ)という表現に由来する言葉であると考えられることになります。
そして、
フランス語において、déjà (デジャ)が「既に」「以前に」といった意味を表す副詞であるのに対して、jamais (ジャメ)は「決して~ない」「一度も~ない」といった意味を表す副詞であり、
両者の表現に共に含まれているvu(ヴュ)は「見られたもの」を意味する単語ということになるので、
両者の表現のフランス語の原義における全体的な意味としては、
déjà vu(デジャ・ヴュ)が、目の前の現象を「以前に見たもの」「既に見られたもの」であると感じてしまう認識のあり方を意味する表現であるのに対して、
jamais vu(ジャメ・ヴュ)は、目の前の現象を「一度も見ていないもの」「未だ見られていないもの」と感じてしまう認識のあり方を意味する表現であると考えられることになるのです。
メタ認識のレベルに生じる認知感覚の異常としてのデジャブとジャメブの共通点
このように書くと、デジャブ(既視感)とジャメブ(未視感)と呼ばれる認識のあり方は、
前者のデジャブ(既視感)が、本来自分が一度も見ていないはずの未知の認識を既に見た既知の認識であるかのように感じてしまう認識のあり方を意味するのに対して、
後者のジャメブ(未視感)は、自分がすでによく見知っているはずの既知の認識を一度も見ていない未知の認識であるかのように感じてしまう認識のあり方を意味するというように、
両者の概念は、互いに異なる正反対の認識のあり方を意味する概念であるようにも思えるわけですが、
その一方で、こうしたデジャブ(既視感)とジャメブ(未視感)という両者の認識のあり方には、単なる錯覚や記憶違いなどとは異なる両者の認識のあり方にのみ共通する独特の認知感覚が存在するとも考えられることになります。
例えば、
遠くから見ると人影のように見えたが、近づいてみるとただの黒い布切れだったというような錯覚や見間違い、
あるいは、以前に来たことがある駅だと思ったらそれは勘違いで、実際に前に降りたことがあるのは隣の駅だったというような記憶違いといった通常の意味での認識の誤りの場合、
そうした認識の誤りや異常は、現実に生じている現象と、それを受け取る現実の認識や記憶との間の直接的なギャップや食い違いとして生じていると考えられることになります。
それに対して、
デジャブ(既視感)といった認識のあり方の場合には、
それが確かに以前に見たことがあるはずのない未知の事柄であることは頭でははっきりと分かっているものの、
どうしてもそれが以前にも見たことのある既知の認識であるように思えて仕方がないといった形での認識の齟齬が生じていると考えられることになります。
つまり、
デジャブ(既視感)やジャメブ(未視感)といった認識感覚は、実際に生じている現象自体を頭の中の現実の認識において正しく認識できていないために生じる認識の異常というわけでは必ずしもなく、
それはむしろ、
実際に生じている現象を捉えている現実の認識をさらに包括する次元で生じている認知感覚の異常として捉えられることができるということです。
ある事柄に対して、それを包括し超越する高次の次元の存在のあり方を示す言葉としてメタ(meta)という接頭辞が用いられることがありますが、
そういう意味では、
デジャブ(既視感)とジャメブ(未視感)という認識感覚は、
両者とも実際に生じている現象に直接対応する現実の認識自体ではなく、そうした認識に対するある種の包括的な感覚、すなわち、人間の認識におけるメタ認識のレベルにおいて生じる認知感覚の異常として捉えることができるという点において、
両者の認識のあり方には、大きな共通点があると考えられることになるのです。
・・・
次回記事:デジャブ(既視感)におけるセピア色の認識としてのメタ的な認知感覚のあり方
関連記事:デジャブとデジャヴュはどちらが正しい?英語とフランス語の発音の違いとフランス語の語源
前回記事:ジャメブ(未視感)とは何か?フランス語における語源と日常表現としてのjamais vu
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