『ファウスト』におけるエロスとアガペーの結合と調和としての魂の救済
以前に「エロスとアガペーの違いとは?」の記事で書いたように、エロスとアガペーという二つの愛のあり方は、
エロスが、不完全な存在である人間が、神のような完全で崇高なる存在を目指して自らの精神をひたすら高めていく上り道の愛であるのに対して、
アガペーは、全能で完全な存在である神から有限で不完全な存在である人間へと向けられる無限で無償なる愛としての下り道の愛として捉えることができます。
このように、通常の場合、エロスとアガペーは、それぞれ逆方向からもたらされる互いにまったく異なる愛のあり方であると考えられることになるのですが、
ゲーテの『ファウスト』においては、そうしたエロスとアガペーという二つの根源的な愛のあり方の結びつきによって、主人公であるファウストの魂の救済がなされているとも考えられることになります。
『ファウスト』の終章で語られるアガペーとしての永遠の愛の力
ゲーテの『ファウスト』の終章において、主人公であるファウストの魂は、永遠なる愛の力によって、悪魔メフィストフェレスとの契約の軛(くびき)から解き放たれ、天上の世界へと救済されていくことになります。
そして、
こうしたファウストの魂の救済の原動力となる永遠なる愛の力とは、
それが『ファウスト』終幕の場面の神秘の合唱において、「永遠なる女性が我々を天上の世界へと引き上げる」と語られていることからも分かる通り、
聖母マリアやグレートマザーのような崇高なる女性的な存在からもたらされる無償にして無限なる愛の力として捉えられることになります。
つまり、
『ファウスト』終章において語られる永遠なる愛の力とは、
一義的には、神や聖母といった崇高なる存在からの恩寵(おんちょう)として与えられるアガペーとしての愛のあり方であると考えられることになるのです。
エロスとアガペーの結合と調和によるファウストの魂の救済
しかし、それに対して、こうした終幕の場面における神秘の合唱よりは少し前の、同じ『ファウスト』の終章においては、
ファウストの魂が悪魔メフィストフェレスの手から永遠なる愛の力によって救い出されたことを解き明かす天使たちの歌の中で、
「絶えず向上し努力し続ける者は、救いを得ることができる」と語られている箇所もあります。
つまり、この箇所では、ファウストの魂が天上の世界へと救済される理由となった永遠なる愛の力には、
聖母マリアや、最愛の人グレートヘン、ギリシア神話の美の化身ヘレネといった外部の存在からファウストに対して向けられるアガペーとしての愛のあり方だけではなく、
ファウスト自らが自分自身の運命と人生を深く愛し、自分自身の魂をより善い存在へと向上させていくために常に努力し続けるというファウスト自身の心の内にあるエロスとしての愛のあり方も含まれているということが語られていると考えられることになるのです。
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以上のように、
ファウストの魂が天上の世界へと救済されていく原動力となった永遠なる愛の力には、聖母マリアやグレートマザーのような崇高な存在からファウストに対して注がれるアガペーとしての愛のあり方と共に、
自分より上位に位置する存在に対して強い憧れを抱き、そうした上位の崇高なる存在へと少しでも近づこうと自分自身を限りなく高めていくよう努力し続けるというエロスとしての愛のあり方も同時に含まれていると考えられることになります。
そして、
ゲーテの『ファウスト』の終章においては、
こうしたエロスとアガペーという自他の二つの究極の愛のあり方の結合と調和によって、主人公であるファウストの魂の救済がもたらされていると考えられることになるのです。
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