「あるもの(ト・エオン)」の空間的無限性と時間的永遠性

パルメニデスの存在の哲学は、

その弟子であるメリッソスの段階において、
より論理性の高い、緻密な哲学体系へと発展していくなかで、

その中心思想である「あるもの」(to eonト・エオン真に存在するもの)に
新たな解釈と新たな本性規定が加えられていき、
その概念の一部が変容していくことになりますが、

そのメリッソスの段階において書き加えられた
特筆すべき重要な本性規定として、

「あるもの(ト・エオン)」における
空間的無限性時間的永遠性

が挙げられます。

今回は、

パルメニデスの思想から、メリッソスがどのようにして
空間的無限性時間的永遠性という二つの規定を新たに導き出したのか?

ということについて考えてみたいと思います。

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「あるもの」の不生不滅から導かれる空間的無限性

パルメニデスは、「あるもの(ト・エオン)」の本性規定について、
以下のように語っています。

あるの道」には、
非常に多くのしるしがある。

すなわちいわく、

あるものto eonト・エオン)は、
不生にして不滅であり、全体にして一様であり、
完全にして揺るぐことのない、
きわまるところなきもの終わることなきもの)である。

(パルメニデス・断片8)

今回、重要となるのは、この引用部の内の

あるものは、不生にして不滅である」という
「あるもの」の不生不滅性が示されている部分と、

きわまるところなきもの終わることなきもの)である」すなわち、
終わることがない、尽きることがないという
「あるもの」の果てしなさ無尽蔵なあり方が示されている部分です。

不生不滅という概念からは、

例えば、人間などの生物は、
生まれて死んでいくように、始めと終わりがあるが、
神のような存在には、そうした始まりも終わりもないというように、

通常は、時間的な意味で、
始まりと終わりを持たないということが連想されることになりますが、

メリッソスは、この始まりと終わりを持たないという
不生不滅の概念から、

それは、時間的に始まりと終わりを持たないだけでなく、
空間的にも始まりと終わりを持たない、すなわち、
「あるもの」は、空間的に無限であるという本性規定を導き出すことになります。

もし、「あるもの」に空間的な始まりと終わりである
何らかの開始点終着点があるとするならば、

それは、「あるもの」が空間的に終わりを迎え、
その存在がある地点で尽きてしまうということになりますが、

これは、前述のパルメニデスにおける「あるもの」の本性規定の後段部分、
「あるもの」の終わりのない果てしなさを語っている部分とも
矛盾をきたしてしまうことになります。

したがって、

そうした点からも、「あるもの」には、
空間的な意味においても、始まりと終わりがないとしたメリッソスの解釈は、
整合性のある解釈となっていると考えられます。

以上のように、メリッソスは、

不生不滅である「あるもの」すなわち、真に存在するものが、
もし、空間的なものとして捉えられるとするならば、

それがいかなる意味においても、始まりも終わりも持たず、
その存在がある地点で尽きたり終わったりしてしまうことがあり得ない以上、

それは、空間的に有限なものではなく、無限なものでなければならない

と考えたということです。

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・・・

そして、さらにメリッソスは、

同じく、「あるもの(ト・エオン)」における不生不滅の概念に基づいて、
空間的無限性だけではなく、時間的永遠性をも導出していきます。

「あるもの」が不生不滅であり、
時間的な始まりと終わりを持たないならば、

それは、当然、

ずっと存在し続けていた、すなわち、
永続的に存在するもの

ということになるので、

「あるもの」すなわち、真に存在するものは、
永遠の内に存在することになるというわけです。

しかし、

この一見当たり前の議論のようにも見える
メリッソスによる「あるものの永遠性の導出の議論は、

実は、パルメニデスの存在の哲学の解釈において、
その根幹にかかわる内容を変容させてしまいかねない、
重大な問題をはらんだ議論ともなっています。

というのは、

そもそも、パルメニデスの段階における
「あるもの(ト・エオン)」の本性規定においては、

同じ、「あるもの」の不生不滅という概念から、

一見すると、メリッソスの永遠性とは
正反対のことを言っているように見える

無時間性という本性規定が語られているからです。

つまり、

全く同じ不生不滅という概念から、
パルメニデスとメリッソスのそれぞれにおいて、

無時間性永遠性という
全く異なる二つの本性規定が導出されてしまっている

ということです。

議論の対称性という観点からも、

「あるもの」、真に存在するものについて、それが

空間的に無限であるならば、
それは、時間的に永遠でもある

とストレートに言い切ってしまいたくなるのはやまやまなのですが、

パルメニデスの存在の哲学と、
メリッソスによるその哲学的体系の解釈と発展のあり方について
より正確に捉えるためには、

両者における無時間性と永遠性という
二つの概念はどのような関係にあり、

パルメニデスにおいては無時間性とされた概念が、
メリッソスにおいては永遠性として解釈し直されたことには、
具体的にどのような意味があるのか?

ということについて、
さらにしっかり考えていくことが必要となります。

・・・

このシリーズの次回記事:パルメニデスの無時間性とメリッソスの永遠性の関係とは?①同じ前提に基づく二つの異なる推論

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