クレタ人のパラドックスの由来、預言者エピメニデスと使徒パウロの聖テトスへの手紙
クレタ人のパラドックスと呼ばれる議論は、
簡単に記述すると以下のような話ということになります。
昔、あるクレタ人がこう言った。
「クレタ人はいつも嘘をつく」と。
果たして、このクレタ人の発言は真実か?嘘か?
いったいどちらなのだろうか?
上記の議論において、
このクレタ人の発言が真実だとすると、
クレタ人はいつも嘘をつくのだから、このクレタ人の発言も嘘ということになり、
このクレタ人の発言は真実であると同時に嘘でもあるという矛盾が生じる。
しかし、反対に、
このクレタ人の発言が嘘だとしても、
その場合は、クレタ人は正直者ということになるので、クレタ人であるこの人物も正直者であり、このクレタ人の発言は真実ということになり、やはり矛盾が生じてしまうようにも思える。
このように、一見すると、この話においても
嘘つきのパラドックスと同様の論理矛盾が帰結しているようにも思えるため、上記のような議論がクレタ人のパラドックスなどと呼ばれるようになっていったと考えられるのです。
今回は、こうしたクレタ人のパラドックスの由来と、
この話がパラドックスを示す議論としてヨーロッパ世界に広まる大きな要因となった新約聖書における記述について考えてみたいと思います。
クレタ人のパラドックスの由来とクレタ島の預言者エピメニデス
クレタ人のパラドックス(the Cretan Paradox)は、
エピメニデスのパラドックス(Epimenides paradox)とも呼ばれる議論でもあるのですが、
紀元前6世紀頃に生きていたとされる
クレタ島出身の伝説的な詩人であり、預言者でもあったエピメニデスは、
ある時、クレタ島の人々が自分が説く神々の不死性について理解せずに、
愚かにも神であるゼウスの墓を建てるのを見て、これを嘆き、
以下のような言葉を残したとされています。
彼らは高貴なるあなた(ゼウス)のために墓を建てた。
クレタ人は、いつも嘘つきで、性質の悪い獣であり、怠け者の大食漢だ。
しかし、あなたは死んでいない。あなたは永遠に生き続けている。
あなたがいるからこそ、我々は生かされているのだから。
そして、
クレタ人のパラドックスと呼ばれる議論は、
上記のエピメニデスの言葉の内の
「クレタ人は、いつも嘘つき」という部分を切り取り、
それをこの言葉の発言者であるクレタ人のエピメニデス自身にも自己言及しているパラドックスであると解釈することによって生まれた論理学上の議論ということになります。
エピメニデスは、ギリシア七賢人の一人に数えられることもある
古代ギリシアにおける優れた知性と見識を持った哲人のような人物であったと考えられるのですが、
以上のように、
クレタ人のパラドックスないしエピメニデスのパラドックスとは、
紀元前6世紀頃に生きていたとされるギリシア人エピメニデスの言葉に由来を持ち、そのことから彼自身の名が冠されることになった論理学上の議論ということになるのです。
新約聖書「テトスへの手紙」の記述に基づくクレタ人のパラドックスのヨーロッパ全土への普及
そして、エピメニデスという伝説的な古代ギリシアの詩人の時代から
時を経ることおよそ500年、
紀元前1世紀頃に、
イエス・キリストの使徒パウロに連れられて、
のちにカトリック教会では聖テトスと呼ばれることになる人物がクレタ島を訪れることになります。
そして、
キリスト教のさらなる布教のためにこの地に残された弟子のテトスに対して
師であるパウロが送った書簡とされる「テトスへの手紙」の中では、
以下のような記述がなされています。
実は、(クレタ人の中には)不従順な者、無益な話をする者、人を惑わす者が多いのです。…彼らのうちの一人、預言者自身が次のように言いました。
「クレタ人はいつも嘘つき、悪い獣、怠惰な大食漢だ。」
この言葉は当たっています。だから、彼らを厳しく戒めて、信仰を健全に保たせ、
ユダヤ人の作り話や、真理に背を向けている者の掟に心を奪われないようにさせなさい。
(新約聖書「テトスへの手紙」1章10~13節)
この「テトスへの手紙」における記述では、
自分自身もクレタ人である預言者が
「クレタ人はいつも嘘つきである」と発言し、
しかも、その言葉は真実であるという論理構成になっているので、
この記事の冒頭で述べた議論の形に非常に近い
よりパラドックス性の高い記述の仕方になっていると考えられることになります。
つまり、
クレタ人の預言者の発言が真実だというならば、
「クレタ人はいつも嘘をつく」はずなのだから、このクレタ人の預言者の発言も嘘ということになっていまい、矛盾が生じてしまうことになるので、
上記の記述は、必然的に矛盾する結論の帰結を招いてしまうパラドックスにあたるのではないか?という疑問が生じてくるということです。
そして、
上記の新約聖書における記述が
古代末期から中世にかけてヨーロッパ社会の内に広く浸透していくなかで、
クレタ人のパラドックスとして知られる論理学上の議論がヨーロッパ全土へと広がっていったと考えられることになるのです。
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ちなみに、
上記のパウロからテトスへの忠告の中では、やや唐突な形で
「ユダヤ人の作り話」という表現が出てくるようにも思えますが、
こうした表現がなされている理由は、初期のキリスト教徒たちとユダヤ教徒たちとの関係と、パウロがイエス・キリストの使徒となった経緯に求められることになります。
イエスは、ユダヤ人の祭司と律法学者たちの手によって裁判にかけられた後、
ユダヤの群衆の意志によって十字架につけられ処刑されることになりますが、
パウロは、こうしたイエスの十字架の死の後に、自らもユダヤ人でありながら
回心してキリスト教徒となり、使徒となった人物なので、
こうしたユダヤ人たちとの深い確執と自らもユダヤ人であることへの葛藤から、
このようなユダヤ人全体への敵意ともみることができるような表現がなされていると考えられることになります。
そして、以上のような経緯から、
初期のキリスト教徒たちは、伝統的なユダヤ教徒たちとは敵対関係にあったと考えられるため、新約聖書においてこのような記述が残されることになったと考えられることになるのです。
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以上のように、
クレタ人のパラドックスの由来は、
紀元前6世紀頃に生きていたとされるクレタ島の伝説的な預言者エピメニデスにまでさかのぼることができ、
さらに、
こうした話が論理学上の議論として古代末期から中世ヨーロッパ社会に広く浸透していった歴史的経緯は、新約聖書における「テトスへの手紙」の記述に求めることができると考えられることになります。
しかし、その一方で、
こうしたクレタ人のパラドックスは、
その歴史的な経緯からパラドックスと呼ばれてはいるものの、
正確に言うと、論理学的にはパラドックスとしては成立してない議論であると考えられることになるのです。
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このシリーズの前回記事:嘘つきのパラドックスの構造と具体的な証明の手順、嘘つきのパラドックスとは何か?③
このシリーズの次回記事:クレタ人のパラドックスと嘘つきのパラドックスの違いとは?単称命題と全称命題と特称命題の区分、クレタ人のパラドックスとは何か?②
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