安楽死の背景にある自己決定権の思想と個人主義と功利主義の関係とは?安楽死と尊厳死の違いとは?⑤
前回書いたように、
積極的安楽死と消極的安楽死という二つの死のあり方は、程度の差こそあれ、両者とも患者の余命に対して少なからぬ影響を与えてしまう行為を含む概念であり、
両者の概念の間には、実態的な意味においては明確な区分は存在しないとも考えられることになります。
それに対して、
その大本にある安楽死と尊厳死という二つの死のあり方については、それぞれの概念の背景にある人間の生き死にに対する思想のあり方の違いに両者の区別を求めることができるとも考えられることになるのですが、
そうすると、まず、このうちの前者である安楽死という死のあり方の背景には、自分自身の命のあり方を自分の意志に基づいて決めようとする自己決定権の思想があると考えられることになります。
個人主義と功利主義における自己決定権のあり方とは?
自己決定権とは、個人が自分の生き方や生活のあり方について自分の意思に基づいて自由に決定する権利のことを意味する概念ですが、
こうした自己決定権と呼ばれる概念が生まれた源流は、18世紀後半から19世紀前半のイギリスにおいて発展した個人主義や功利主義の思想の内に求められると考えられることになります。
「最大多数の最大幸福とは何か?②ベンサムの功利主義における身体的快楽の総和としての最大幸福」の記事でも書いたように、
功利主義においては、幸福とは、一義的には、個人の私的な身体的・心理的快楽の集合として捉えられることになり、
そうした個人個人の快楽の総和が最大化されることによって、社会全体の最大幸福がもたらされると考えられることになります。
そして、こうしたベンサムにおける功利主義の思想は、イギリスの経済学者にして哲学者でもあるジョン・スチュアート・ミルに引き継がれていくことによってさらに洗練されていくことになるのですが、
そのミルの著作である『自由論』においては、功利主義における道徳の原理として、「危害原則」と呼ばれる原則が提唱されることになります。
危害原則とは、他者に危害を加えたり他人に多大な迷惑をかけたりすることがない限り、個人の権利は最大限尊重されるべきであるとする倫理原則であり、
こうした危害原則の原理に従うと、
例えば、ある人物がまるで道化師のような派手で奇抜な服装をしていて、それが他の人にとって不快に感じられるとしても、それだけではその人が他者に対して危害を加えているとも直接的に多大に迷惑をかけているとも言えないので、そうした個人が自分の好きな格好をする自由は個人の身体に関わる自由として容認されるとことになります。
それと同様に、ある人が世間一般の常識や政府の公式見解などとは異なる意見を主張し、それが他の人にとって不愉快に思われる場合でも、その主張が直接的に他者を攻撃し、危害を加えるような主張でない限りは、言論の自由として広く認められることになりますし、
同性愛などの容認をめぐる議論においても、それは当事者同士の私的な関係であり、他者が直接的に多大な迷惑を受けるような性質の問題ではない以上、それは個人における性の自己決定権の行使として認められると考えられることになります。
つまり、
こうした功利主義の危害原則におけるような個人の権利を最大限に重視する原理に基づくと、
個人の自由と幸福追求をめぐる自己決定の権利は、他者の権利を大きく侵害することがない限り、無制限に容認されるべき権利として、大きく正当化されることになると考えられることになるのです。
安楽死の背景にある自分の命は自分で決める自己決定権の思想
そして、こうした功利主義や個人主義における自己決定権の思想に基づくと、
人間は、上記のような自らの服装や身体のあり方の自由、言論や信教の自由や、財産の自由などを有し、それらのことについて自分自身の意思で自己決定する権利を持つのと同様に、
自分自身の生命についても、そのあり方を自分自身の意思によって決定する権利を有すると考えられることになります。
つまり、
人間には、他者の権利を著しく侵害することがない限り、他人からどのように思われようと、自由な服を着て、自分の財産を自由に使い、自由な意見を主張する権利があるのと同様に、
人生の終末にあたる自らの死のあり方についても、その死に方が他人に危害を与えるようなものではない限り、自らの意思に従って自らが信じるより良い死のあり方を選択する自由が個人の権利として存在すると考えられることになるのです。
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以上のように、
患者自身の意思に基づいて、当人にとってより良い死のあり方である苦痛のない安らかな死を選択する安楽死という死のあり方の背景には、
一人一人の個人には、自分の生き方や生活のあり方について自分の意思に基づいて自由に決定する権利があると主張する功利主義や個人主義における自己決定権の思想があると考えられることになります。
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そして、通常の場合は、
安楽死と並ぶ死の概念である尊厳死についても、安楽死の場合と同様に、自らの死のあり方を自分自身の意思によって決定する自己決定権の観点から説明されることが多いのですが、
人間の死のあり方に、尊厳というある種の神聖さを見いだす尊厳死という死のあり方には、単なる自己決定権だけでは汲み尽くすことができない人間の生死に関する異なる思想が含まれていると考えられることになるのです。
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次回記事:尊厳死の背景にある仏教の悟りや諦観へと通じる思想とは?安楽死と尊厳死の違いとは?⑥
前回記事:積極的安楽死と消極的安楽死に明確な区分は存在するのか?安楽死と尊厳死の違いとは?④
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