古代ギリシア自然哲学における自然と人倫の融合と論理と韻律の一体化
前回書いたように、アナクシマンドロスやエンペドクレスといった古代ギリシアの特に自然哲学における哲学思想においては、
アナクシマンドロスにおける「不正」と「償い」や
エンペドクレスにおける「愛」と「争い」のように、
自然学的なテーマを扱っているはずの文章においても、
それをまるで人格と意志を持った人間であるかのように扱う
擬人化された詩的な表現が多く用いられることになるのですが、
現代における文章感覚からするとミスマッチであるようにも見えるこうした表現がなされている理由は、いったいどのようなところにあると考えられるのでしょうか?
表現形式における論理と韻律の一体化
そもそも、古代ギリシアにおいてミレトス学派やイオニア学派といった
自然哲学の思想が花開いたのは、
暗黒時代を経た後の古代ギリシア世界に、新たな文字文化の萌芽としての
ギリシア文字が誕生した紀元前9世紀頃から300年ほどの時を経た
紀元前6世紀頃ということになります。
そして、
この時代には、ギリシア社会の内に、ホメロスの『イリアス』や『オデュッセイア』などに代表される文字文学がある程度根付きつつあったとはいえ、
思想の継承は、いまだ主に口承によって次の世代へと語り伝えられていました。
口承による知の継承においては、
知識の伝達が人々の記憶に由来することになるので、
論理のみが連なったリズムの無い無味乾燥の文章では
記憶しようにも取っ掛かりがなくて覚えづらいということになります。
したがって、
思想を語る言葉は韻律(詩のリズム)とセットになり、
叙事詩のような物語形式をとることによって、人々の心により残りやすい形で語られることが必要であったと考えられることになるのです。
このように、
古代ギリシアの自然哲学の思想が生まれた当時の時代背景においては、
現代における論説文のような論理的な体裁を整えた形で思想が記されることが一般的であったわけではなく、
むしろ、
口承を前提とした思想の伝達においては、人々の記憶に残りやすいように、
あえて叙事詩や韻律を用いた表現で語られることが一般的であり、
論理的な思想も情感に溢れる韻律と一体となることによって
より人々の記憶に深く残ることになり、
長く後世まで語り伝えられていくことが可能となったと考えられるのです。
自然の内にも人間社会の内にも通底する根源的原理
また、
紀元前4世紀頃のアリストテレスによる学問体系の整備と細分化が進む前の
紀元前6~5世紀頃の古代自然哲学の思想においては、
そもそも、表現形式だけではなく、思想内容の面においても、
自然学と倫理学、自然と人倫は一体となったものとして捉えられていて、
両者の間には、現代におけるような明確な概念上の区分はなされていなかったと
考えることもできます。
つまり、
古代ギリシアの自然哲学の思想においては、自然も人倫も含めたあらゆる存在が
すべてを包括する一つの世界観の内に捉えられていて、
そうしたすべて司る存在としての万物の始原(arche、アルケー、元となるもの)、
根源的原理への探究がなされていったと考えられるということです。
例えば、前回取り上げた
アナクシマンドロスやエンペドクレスの思想の例で言うならば、
エンペドクレスにおいて
元素同士の間で働く引力が愛と美の女神アフロディテの名を借りて「愛」、
その反対の力である斥力(反発力)が「争い」とされ、
アナクシマンドロスにおいて
宇宙におけるバランスの不均衡状態が「不正」、
均衡状態への回復が「償い」とされているのは、
前述したように、表現形式における論理と韻律、詩の調べとの一体化の観点から、
敢えて人々の心に残りやすいように擬人化された表現が用いられていると考えることもできるのですが、
それは、そもそも、思想内容においても、
自然の内にも人間の社会の内にも通底する根源的原理として語られていると考えることもできるということになります。
つまり、
アナクシマンドロスやエンペドクレスといった
古代ギリシアの自然哲学者たちの思想においては、
自然界における物体や元素同士の間で働く引力や斥力と
根源的にはまったく同じ力が
人間同士の精神的関係や、国家間の政治的関係にも
同様に働いていると捉えられていたと考えられるということです。
したがって、その思想の記述において、
自然界に働いている力を
人間同士の感情的な関係である「愛」や「争い」、
倫理的な関係である「不正」や「償い」といった概念で説明するのも、
反対に、
人間の心の状態や魂のあり方を
自然界を構成する元素の働きや宇宙における秩序関係によって説明するのも
両方共にまったく違和感のない正当な表現として成立していたと
考えられることになるのです。
・・・
以上のように、
アナクシマンドロスやエンペドクレスなどの
古代ギリシア自然哲学の思想においては、
自然と人倫は、根源的には一つに融合した
一なる世界観の内に捉えられていて、
人間の世界と自然の世界、さらには、神々の世界までをも含めた
すべての存在に通底する根源的な原理としての始原(アルケー)への探求が
進められていたと考えられることになるのです。
・・・
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